25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

2018年06月21日 | 日記
 この4月から読書会のようなものに参加している。残念なことだが、賢いリーダーのMさんが弱音を吐いた。彼は84歳である。「家内が施設入ったこともあり、私の体も精神も老いを感じてならない」
そう愚痴た。記憶力もぼくらよりもしっかりとしており、耳をよく聞こえ、脳の反応速い。
 会員が持ち回りで、読んでくる本を決める。次は女性会員の方が提案する番である。芥川龍之介の「河童」となった。これは2年前に取り上げられたらしい。
 ぼくはまだ3回目なので、まだ様子がつかめない。1ヶ月で長編を課題にだすことは難しいそうである。次回の担当者悩んでいる。Mさんは「ええがな2回目でも。あれから読み方も違ってきとるかもいれんしな」
資格定規に、もう一回したんだからと言っていたのではこのような会は維持できないのだろうと思った。
 ぼくは過去に一度芥川龍之介の「ある阿呆の一生」を読んだおかげで、芥川の私生活での女性蔑視に呆れて(当時はそれが普通だったのだろうが)、こんな作家の作品は読まずとも本はいっぱいあるち思って以後芥川龍之介作品は読んでいない。
 次回は「河童」と決まった。

 この会にぼくより若い人はいないようである。現代の小説家のもの、外国の小説はあつかったことはないと言う。詩歌もないと言う。
 何かやり方を変える必要な時期きているのだろうと思った。
 長編小説は半年間の課題とし、途中で読めなくなってもよい、とか、短編小説を現代若い作家に無理して限ってみるとか、映画にも手を伸ばしてみるとか、音楽も扱うとかである。
 もっと世代の若い人を会員に募集するとか、何か策を講じないと、Mさんの退場で終わってしまうような気がする。それは寂しく、そのまま尾鷲が寂しくなっていくのと歩調を合わせているような気もする。
 なんとか、と思う。