25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

メル・ギブソン

2018年06月20日 | 映画
「Passion of Crist」(イエスの受難)という映画を観た。2004年のメル・ギブソンが私財を投じて監督、プロデュースをした映画である。ネットで検索をすると、この映画を観てアメリカでは2人ショック死をしたという。イエスが捕まり、磔刑になるまでの十二時間を描いている。ネットでは賛否両論、よかった、涙がでた、見ているじぶんも痛かった、退屈だった、わけわからんかった、といろいろである。
。殴る、蹴る、落とす、鈎つきのムチによる傷めつけ、十字架を担がされて歩くときの傷めつけ、手と足に釘を打って固定する磔刑(たっけい)による死までが描かれている。ほとんど聖書の内容からは逸脱していない。目をそむかせるようなシーンが続くのだったらやめておこうと思ったが、結局目を逸らさず見入ってしまった。
 この磔刑と復活物語によってイエスは人間の内面に生きるのである。メル・ギブソンらは討議を重ねただろう。聖書からどこまでリアルな刑が想像できるか。ムチ打つ側の者も次第狂気じみてくるだろうとそうぞうした。
 徹底した刑がつづき、結末はわかっているのに、最後までみてしまうのはこの映画の力なのだろう。人間の罪を全部引き受けてくれるのだから、まだまだかもしれない。メル・ギブソンの畏れぬ勇気にも驚いた。2004年のころはぼくも映画を観る余裕もなかった。

 こういう映画を観て寄り道していると、聖書読みが遅々となる。
 しばらく、映画をストップしようと思ったのだった。




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