25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

人生は円のようなものだ

2018年06月02日 | 文学 思想
 昨日、今日くらい気持ちのよい日はめったにない。気温26度、微風。金魚、メダカを愛でながら日の光を浴びる。紫陽花が咲いている。百合がもうすぐ花開きそうである。藤はあちこちに早い勢いで触手を伸ばしている。
 昨日来た青年達は三木崎灯台を越えて釣りをしたので、もうクタクタだと言っていた。ぼくも釣りdのため越えたことがあるのでそれはそうだろうと思った。大きなアオリイカを逃したと残念がっていた。今日も朝4時からどこかにいくと言っていたので、幾つかの釣り場を教えた。今頃は目の前の竿以外のことは全部忘れて釣りに集中しているのだろう。
 釣りの技法も格段に進歩している。ぼくは太公望の釣りが好きで、攻めるより待つ釣りが好きだ。たとえ鯵でさえもである。
 小学生の頃、前の岸壁でよく鯵を釣っていた。同じクラスのHくんは上手かった。彼だけは飛び抜けて必ず釣るのだった。何が違うのかわからなかった。針のせいか、餌のつけかたか、魚の動きがわかるのか、あわてず間をおいてから竿を振るのか、わからず、こいつは只者ではないな、と一目置いたのだった。勉強ができる、できないなど人間の値打ちの基準になることなど考えることがなかった、ビー玉をすればそれに秀でるものがいた。怪談をおそろしく語る女子もいた、ぼくにとっては黄金期のような時代だった。昭和30年代であった。「末は博士か大臣か」というような志をもっているような男子は周囲にどこにもいなかった。ただ遊んでいた。親が付き添って塾に通う男子もいたが、ぼくらは遠くから眺めていたのだった。
 六年生も終わりになると、坊主刈りにする男子が出てきた。ぼくは坊主にするのはとても嫌だった。中学生は坊主刈り。理由がわからなかったがみなそうしなければならいからと従がっていた。
 卒業写真をみてみると、ぼくだけがセーターで他の生徒は学生服を着て写真に臨んでいた。
 母親もこういうことには気がつかないような人だった。長い、長い
どこに出口があるかわからないような小学生時代もようやく終わったのだった。まだ人間んいなったような意識はなかった。
 日にあたり、木々に目をやりながら、なぜ小学生活の六年間は長く感じたおだろうと不思議に思う、百合は咲いて、さっさと枯れてしまう。時間感覚というのは絶対的でありながらも、相対的だと思う。おどらく人生は円のようにできているのだろう。また六年が長い日々が来るに違いない。