25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ひさしぶりに名古屋へ

2018年06月17日 | 文学 思想
 久しぶりに名古屋に行った。駅周辺はゲイトタワーができており、それが三つの棟からなっているためか、うろうろとした。
 カシオから英会話学習機がレベル別に出たいうことを知ったので、それを試してみたかった。ぼくが知っているものがなかったので、がっかりした。これまで毎日英語を使っていたが、ここ3年は使っていない。忘れてしまうと思ったからである。
 次に三省堂に行った。旧約、新約聖書の詳しい解説、例えば、イエスが生まれたところや育ったところなどの現在の風景写真や昔の絵画などがあるのを探したかった。また宗教学者たちが聖書をどう読んでいるのか知りたかったこともある。7冊ほど買って、尾鷲に戻った。
 しかしとりあえず、聖書そのものを全部読む必要がある。全部と言えば相当なページ数があり、字が細かい。聖書を文庫本にして20冊ほどにして文字も大きくすればよいのにと思う。 また、現在読んでいるおる聖書は戦後に翻訳された共同訳で、「主」と「イエス」に敬語を使っている。呼び名に確かに敬語はある。Master とか Mr. はあるが、私はは 英語では
I であり、あなたがたたは You である。言うは say であり、「言われた」というのは敬語である。この翻訳に違和感を持っている。しかたがないので、違和感を持ちながら読んでいる。
 聖書で出て来る土地の風景写真も買ったので、それは喫茶店ででも眺めることにしようと思っている。

 聖書と何の関係もないが、帰りが20時近くになったので、20年ぶりくらいに「宝来」という尾鷲市内の中華料理の店に行った。かねてから行きたい、行きたいと思っていたのだった。ところが開店時間が遅く、閉店時間が早いので、「食べたいが行けない」という状態が続いていた。ここの「焼きそば」が旨いのである。その味は舌にしっかりと記憶されていた。から揚げも旨かったがやはり「焼きそば」は絶妙に旨い。勘定の時に何時に店が開くのか、と聞いたら「6時で、オーダーストップが10時半」だということだった。ぼくはてっきり8時ごろ開いて、夜中の1時くらいまでやっているのだろうと思っていた。そんな記憶があったからである。そうか、6時か、だったらまた来れるかも知れない。
 たぶん無駄なく営業しているのだろう。また働き過ぎることを敬遠しているのかもしれない。人口が減っていく尾鷲の中で、目途というか、その自信があるのだろう、と勝手に思う。それにしてもやっぱり旨かった。

 民泊新法が施行となった。これまでグレーゾーンであった宿泊所は法律の下に置かれることになった。この民泊事業の届け出手続きはややこしい第一にパソコンが使えなければならない。BnBでは6万件とか7万件の件数が削除された。営業ができなくなったのである。
 その代わりに大手企業がこの宿泊事業に参入し、準備を進めている。届け出できなかった人の代理手続きをし、企業の参加に置き、大企業はマンション丸ごと買い取って、民泊を始めるのだろう。どんなポータルサイトが出て来るのか。やがて、大企業やBnBnoような外国の企業がきっと政府に圧力をかけるのかもしれない。ちょっとした「おもてなし」をしていた人達も傘下に取り込まれてしまうのかもしれない。マンション買い取りの外国企業も出て来るのかもしれない。
 ぼくは三重県では最初の民泊事業者となった。津のNHKから電話があり、少しこの事業法の欠点を語った。すると明日取材に行きたいと言っていたのが、その後連絡なしとなった。彼らが求めるニュース主題とは違っていたのだろう。

 夜、是枝監督の「海より深く」を観た。バクチ好きで売れない小説家が興信所で働いている。別れた妻のその後が気になり調べたりする。家庭を持っていた時期には妻と子供を放っておいたにも関わらず、月に一度の父親ごっこを楽しみにしている。それでも競輪博打がやめられない。いらつく男であった。やはりリリーフランキーはどこか恐ろしい所長役をしていた。この役者は善人も悪人も演じることができる。気味の悪い俳優である。
 寝床で聖書を読んでいたら、30分もせぬうちに瞼が下がって、文字が見えなくなった。