25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ラミダスからサピエンスへ

2018年06月28日 | 文学 思想
 アフリカのジャングルの木の上で暮らしていたラミダスは二本足で他って、腕で物を運ぶ方が有利であることを知った。チンパンジーと人類の間の変わった哺乳類である。身長は120センチほど。ジャワ原人もそのくらいの人類初だからラミダスの系なのかも知れない。
 やがて気候変動があり、アフリカはサバンナとなった。ラミダスは草原で他の動物園前を敵として生き残らねばならなかった。肥沃なナイル川、チグリスユーフラテス川の方面にラミダスも進化しながら移動した。他にも人類はいた。現在では20種までわかっている。ヨーロッパの方面にまで移動していたのはネアンデルタール人である。ともに同じ祖先をもち分かれたのはホモ`サピエンスである。

 ラミダスはきっと人類の共通の原初の祖先なのだろうか。その前か後に他の人類がいたのかもしれない。
 運動能力がまさり、脳も大きかったネアンデルタール人は大人数の集団を作ることがなかったゆえに滅んだ。弱きサピエンスは一夫一妻制の有利さを知った。人類に対幻想が発生した。また集団を作ると強くなり、家族を守れることも知った。やがて敵は動物ではなく、他の部族のもつものをとる有利さも知った。同じ共同幻想を共有するものと異なるものが戦争をした。
 エジプトやメソポタミアに移動定住した人類はBC3000年にはエジプト文明やメソポタミア文明ををもっていた。人類には力あるものが誕生した。部族も長、やがては部族を束ねる王である。奴隷もいた。

 エジプト、オリエントを出てヨーロッパに向かい、ロシアからカムチャッカ半島、アラスカへと渡るホモ・サピエンスもいた。インド、中国方面にわたったものもいた。

 日本はいわば人類の移動の極であり、渡るに最も困難な終着点でもあった。戦い逃れ、奴隷のまま死なず
より良い場所を求めて、生き残りをかけて、南インドから、中国やフィリピンから、モンゴル、朝鮮経由から、バイカル湖あたりから、日本列島に入ってきたのである。

 エジプトが繁栄している頃、日本は縄文時代であり、王もいなかった。また奴隷もいなかった。火山と津波のある島であるが黄金の国と呼ばれてもふさわしい国であった。海に囲まれ、天然の要塞であった。
 やがて、部族ができ、部族の連合ができた。さらに王が誕生した。
 大化の改新が始まる645年からわずか1000年もたたぬ内に日本は国を閉じた。
 この列島中で米や魚をとって暮らしていこうと徳川家が決めたのである。
 オリエント、ヨーロッパは戦いに明け暮れ、侵略、略奪、ついにはヨーロッパの強国は七つの海をを渡り、なおも侵略と略奪を繰り返したのである。その土壌に一神教があり、世界宗教のキリスト教がある。近代とはこのような土壌を受け入れるということでもあった。

 人類は、唐突であるが、老いるということはNADが減少していくことである、と発見し、そのNDAを増やす物質NMNも発見した。ここ2年くらいまでには臨床実験を終え、医薬界に登場するという。副作用も今のところないらしい。これを投与すれば、循環器系も免疫系も、あらゆる細胞が20年若返るということだ。この研究に日本人も関わっている。医学のシンギュラリティーはもうすぐである。近代はこのような科学も発展させた。インド医学や中国医学はすでに西洋の医学に呑み込まれている格好である。人類は神に替わるあたらしい共同幻想を必要としている。政治においてみ、経済活動、日常の生活においてもだ。もしくは共同幻想が解体されなければならない。個人幻想と個人幻想とが対等のものとしてあり得る倫理が必要なのかもしれない。生き残り続けた人類は現在のバカバカしさから、特に神をもちながら血と血で争ってきたオリエント、西洋は観念の克服をしなければならない。その脈々として流れる血を塩水で薄めなければならない。そしてどこの国も覇権を争ってはならない。