25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ハイビスカス

2018年06月04日 | 文学 思想
 去年、ハイビスカスが長い間花を咲かせていた。しかし、ぼくの手入れがきっと悪く、寒い時に枯れてしまった。
 それで、今年もと、赤、白、黄色のものを買いに、コメリに出かけた。白のものがなかったので、それは入荷まで待つことにして、赤と黄のハイビスカスを買った。これを二回りは大きい鉢にいれるつもりだ。
 バリ島ではエステサロンの庭の垣根をハイビスカスにしたことがある。ただ植えて、水やりをするだけで、何の手間も要らないのだった。
 背丈もすくすく伸びた。
 大柄の色の派手な花である。日本の芙蓉とちょっと違う。日本の芙蓉は白が多く、花の中心から飛び出ているのが短い。作家の故中上健次は新宮の路地で咲いている芙蓉を「夏芙蓉」と呼び、小説風景描写でよく使った。「千年の愉楽」という戦後の優れた作品はこの夏芙蓉におうところが多いぼくは思う。
 小説に出て来るアホタレの男たちが神の子のように美しいのは夏芙蓉のマジック効果がある。
 この「千年の愉楽」が映画になって若松孝二が監督をした。ロケ地は尾鷲市の須賀利だった。新宮の路地は再開発でなくなっていた。須賀利は路地が多い。映画を見ると「夏芙蓉」は出て来なかった。オリューのオバは寺島しのぶという女優だった。これには参った。ぼくのイメージではオリューのオバは年をとっていて、路地の若衆の誕生をとりあげた産婆であり、その後の若衆ひとりひとりの人生を空からみるように見守っていたのだった。
 ぼくは戦後文学の中で、優秀作品を挙げるとすれば、「千年の愉楽」、津島佑子の「夜の光に追われて」、三島由紀夫の「豊饒の海」、谷川俊太郎の「裸」、村上春樹の「神の子どもはみな踊る」を挙げる。優れた小説はまだあるのかもしれないがぼくはまだ出会っていない。さて中上文学は「千年の愉楽」を頂点として、自分の伝記めいた作品から離れた。読み続けることのできない作品ばかりになった、とぼくは思う。もう夏芙蓉も出て来るくことはなかった。
 ハイビスカスは一輪咲くとその日で終わり、次の花が咲く。この繰り返しをバリ島では365日繰り返す。日本では今から九月の終わりくらいまで咲いては散り、また咲くのである。桜や木蓮のように三日、四日ですべてが散ってしまう儚いものではない。
 庭で毎日これから見ることになる。花があるだけで、庭がひとつの器のようになる。