櫻井良子、百田尚樹、金美齢、八木秀次、百地章、中西輝政、杉田水脈、ケントギルバートなどの考え方をなんと言えばいいのだろう。ここに安倍晋三、稲田朋美らの元生長の家原理主義者、産経新聞らを入れてもよいだろう。歴史修正主義者、大日本帝国主義者、自国愛史観主義者、トリック派、などなど浮かぶが、ひどいのは、彼らの文、主張はそれらしきことを言っているようで、実は、嘘の誘導をしていることだ。
明治期から昭和の終戦時期までの大日本帝国。戦後の日本国。歴史上それらを超えてある日本列島。彼らは日本、日本国、大日本帝国をごっちゃに使ってまやかす。それはもうムチャクチャである。なぜに戦前の大日本帝国がいいのだろうか。それがぼくにはわからない。生まれ、生い立ちにあるのだろうか。
例えば、
朝日新聞が誤りであると認めたのは、「済州島で朝鮮人の若い女性200人を強制連行した」という告白を含む、吉田清治の証言であり、慰安婦に関して朝日新聞が掲載した記事のすべてが「間違いであった」と認めたわけではありません。(「歴史戦と思想戦」 山崎雅弘)
ここでわかるように慰安婦問題はあったのに、吉田証言は間違っていた、それでなかったことにするという飛躍した手法である。南京虐殺はあったのに、なかったことにする。殺すのを見なかった、という証言で、全部なかったことにしてしまう。
韓国が問題にする慰安婦問題は大日本帝国の時代に起こした問題である。中国が批判する南京問題も同様である。日本を批判すると、現在の日本が批判されていると思ってしまう。冷静に考えればわかることを逆に被害者のように日本列島人は思ってしまい、「反日」と呼び、韓国や中国の意見に同調しようものなら「反日「のレッテルを貼られる。
歴史問題は過去に日本軍が犯した誤りであるから、歴史戦を話し合いによって解決できるはずである、というのがぼくの意見である。
満州事変、盧溝橋事件からの日中戦争、そして太平洋戦争(日本では大東亜戦争と呼んだ)
もしかたのなかった戦争だったと言って憚らない。東京裁判は間違った裁判だ、勝者の裁判だと言って憚らない。
ドイツは自国の恥部から逃げず、「なかったことにする」論法は使わず、これを禁止し、ナチスの幹部が逃亡しても徹底的に追った。ドイツ国民がやったことを反省し、謝罪した。戦後復帰し、のちに東ドイツを吸収し、現在はその東ドイツ出身のメルケル首相がリーダーとしてドイツを牽引している。日本はその点は中途半端であった。戦争犯罪人は徹底して罪を問うべきであった。朝鮮戦争の勃発でアメリカの態度がにわかに変わった。岸信介のような当時内閣の商務大臣をしていた官僚が刑務所を出て政治家となって復帰してきた。そして日本国の首相となった。日本はスイスのような中立国になれなかった。日米安保条約を結んでしまったからである。おかげで経済まっしぐらで成長できたのだ、という意見もある。しかしそれは本当かどうかわからない。
日本は政府、社会ともに、歴史観大論争を一度するべきである。上智大学の大学院生だったと思うがこの歴史観についてのドキュメント映画を作った。歴史修正主義者たちは出演に合意していて、上映となると「そんなことは合意してない」と言い始めた。しかしこれは完全に監督の勝ちであり、証拠書類もすべて細部にわたってまで合意の契約書を作っていた。この映画は歴史修正主義者とそうでないものを対等に取材し、若い監督が監督的結論を出すものである。
また「歴史戦と思想戦」で山崎雅弘は完膚なきまでに歴史修正主義者の主張、大日本帝国賛美を論破している。こういう若い人が出てくることに嬉しさを感じる。
明治期から昭和の終戦時期までの大日本帝国。戦後の日本国。歴史上それらを超えてある日本列島。彼らは日本、日本国、大日本帝国をごっちゃに使ってまやかす。それはもうムチャクチャである。なぜに戦前の大日本帝国がいいのだろうか。それがぼくにはわからない。生まれ、生い立ちにあるのだろうか。
例えば、
朝日新聞が誤りであると認めたのは、「済州島で朝鮮人の若い女性200人を強制連行した」という告白を含む、吉田清治の証言であり、慰安婦に関して朝日新聞が掲載した記事のすべてが「間違いであった」と認めたわけではありません。(「歴史戦と思想戦」 山崎雅弘)
ここでわかるように慰安婦問題はあったのに、吉田証言は間違っていた、それでなかったことにするという飛躍した手法である。南京虐殺はあったのに、なかったことにする。殺すのを見なかった、という証言で、全部なかったことにしてしまう。
韓国が問題にする慰安婦問題は大日本帝国の時代に起こした問題である。中国が批判する南京問題も同様である。日本を批判すると、現在の日本が批判されていると思ってしまう。冷静に考えればわかることを逆に被害者のように日本列島人は思ってしまい、「反日」と呼び、韓国や中国の意見に同調しようものなら「反日「のレッテルを貼られる。
歴史問題は過去に日本軍が犯した誤りであるから、歴史戦を話し合いによって解決できるはずである、というのがぼくの意見である。
満州事変、盧溝橋事件からの日中戦争、そして太平洋戦争(日本では大東亜戦争と呼んだ)
もしかたのなかった戦争だったと言って憚らない。東京裁判は間違った裁判だ、勝者の裁判だと言って憚らない。
ドイツは自国の恥部から逃げず、「なかったことにする」論法は使わず、これを禁止し、ナチスの幹部が逃亡しても徹底的に追った。ドイツ国民がやったことを反省し、謝罪した。戦後復帰し、のちに東ドイツを吸収し、現在はその東ドイツ出身のメルケル首相がリーダーとしてドイツを牽引している。日本はその点は中途半端であった。戦争犯罪人は徹底して罪を問うべきであった。朝鮮戦争の勃発でアメリカの態度がにわかに変わった。岸信介のような当時内閣の商務大臣をしていた官僚が刑務所を出て政治家となって復帰してきた。そして日本国の首相となった。日本はスイスのような中立国になれなかった。日米安保条約を結んでしまったからである。おかげで経済まっしぐらで成長できたのだ、という意見もある。しかしそれは本当かどうかわからない。
日本は政府、社会ともに、歴史観大論争を一度するべきである。上智大学の大学院生だったと思うがこの歴史観についてのドキュメント映画を作った。歴史修正主義者たちは出演に合意していて、上映となると「そんなことは合意してない」と言い始めた。しかしこれは完全に監督の勝ちであり、証拠書類もすべて細部にわたってまで合意の契約書を作っていた。この映画は歴史修正主義者とそうでないものを対等に取材し、若い監督が監督的結論を出すものである。
また「歴史戦と思想戦」で山崎雅弘は完膚なきまでに歴史修正主義者の主張、大日本帝国賛美を論破している。こういう若い人が出てくることに嬉しさを感じる。