25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ちあきなおみ

2019年06月17日 | 音楽 ポップス
久しぶりに「ちあきなおみ」の歌特集があった。歌ったのは蔵出しのような歌ばかりで、しかも歌が上手いのにはやはり、というかまた再び感心した。低音部から高音部への声に段差がない。表声が裏声にならずに突き抜けていく。この人は表声とファルセットの区別のない珍しい歌手だと思う。もしかしたらファルセットを使っているのかもしれないがその境がわからない。独特な「ちあきなみ叙情」があって、石原裕次郎の歌も、いかにも自分の持ち歌のように歌ってしまう。テレビ番組では「歌姫」と言っていた。シャンソンを歌い、ファドを歌い、演歌、ブルースも歌った。

 その前の晩には「美空ひばり」の特集があった。美空ひばりもずば抜けた上手さがあるが、ちあきなおみも負けてないように思う。
 三年ほど前に一青窈がユーミンの「ひこうき雲」を歌ったとき、「上手いなあ」と感動したことがある。この歌手もいろんなジャンルの歌を自分風に歌える歌手だと思った。

 ちあきなおみも西田さち子のように、山口百恵のように、二度と公衆も面前で歌うことはないのだろう。愛する夫が亡くなった。その喪失感の深さは歌でさえも埋められなかったのかもしれない。おそらく、ちあきなおみの歌を聞いたことがある人がいる限り、これから何度もテレビで特集が組まれるのだろう。

 昨日の夜遅く「薬師丸ひろ子」が「カバーズ」で歌っていた。井上陽水が2017年に曲を提供していた。「めぐりあい」という曲だ。
 なんか女性にうまい歌手が多いな、と思う。

思考停止 ひとりで祈れ!

2019年06月17日 | 文学 思想
ブログは「生きた証」でもあるので、思っていること、考えていること、日常の中で起こったことなど、すべてというわけにはいかないができるだけ、残しておきたいと考えている。
 かねてから考えていることで「仏教」に対する人々の接し方や理解、信仰の仕方に、ぼくは不思議でしようがない思いをもってきた。寺のお坊さんがお経を唱えるが、これの意味が分からない。意味がわからないのに、なんだか、神妙になって正座している。理由もわからないのに、これがやり方だと暗黙の了解のように数珠をもって、焼香をし、礼をする。

 そもそも意味がわからないのに、どうして仏教が国民的宗教となったのか。意味がわからない庶民に鎌倉新興仏教、例えば親鸞聖人は「波阿弥陀仏」と一生に一回心の中で言えたらいいんだ、というところまで言ってしまったところから、あるいは日蓮大聖人が浄土宗を批判し、「南無妙法蓮華経」による立正安国論を唱えたとき、庶民は仏教の一端でも見たのかもしれない。仏教は一歩庶民に近づいたのかもしれなかった。

 今、2019年の現在、各宗派のお経の意味をどれほどの人が知り、思考停止状態となって慣習を続け、人がするからそれをしなくてはならない、という「共同幻想」は日本だけでなく、世界の至るところで、その「脳の機能」を発揮している。人類はこの問題(知らぬ間に真似をする、感染してしまうという脳の問題)を解決していないのだ。

 宗教の厳粛性の雰囲気はわかるのである。天理教であっても、毎日の太鼓の音と始まるお勤めの雰囲気。人々が大きななにものかに祈りを捧げる姿も、その日、心がその祈りで安らぐことも、生きているだけの苦労も癒されるのはわかるのである。金光教とて。すべての仏教とて。しかし意味がわかっているのかとぼくはあえて問いたいのである。でないと宗教は右向けと言えば右、となってしまうではないか。教祖なり、集団のリーダーのいうことが正しいことだとなりかねない。それが宗教である。

 「今までやってきたことだから」「仏様を足蹴にするようなことは言わない方がよい」「先祖を大事にせんとバチがあたる」「地獄には行きたくない。極楽に行きたい」
 ぼくには全くわからないのである。
 親鸞の「教行信証」もインタビューの「歎異抄」も、いくつかの書簡も読んだ。読むと、親鸞は墓も否定し、寺を作る意思もなく、まして浄土真宗を開く意思などはなかった。宗教を解体したはずの親鸞が後世に一大仏教派閥となっている。ぼくには不思議なことだらけである。

 葬式仏教は終焉を迎えつつあるような気がする。戒名に位階があり、位階によって値段も違うというアホらしさ。意味のわからないお経を唱えてもらって、ハイ、お金。何がありがたいものか、とぼくは心底で思っている。だから宗教について「ひとりで祈れ!」というある知人の言葉が的を射ていた。

 シーア派のイラン(ペルシャ)。スンニ派のアラブ諸国。同じ神をもつユダヤ教のイスラエル。キリスト教プロテスタントの福音派。ホルムズ海峡が封鎖されれば、米中問題さなかの中国はイランにつき、ロシアもイランにつく。アメリカ、アラブ諸国、イスラエルはイランを攻める。そうなると経済は大パニック。北朝鮮まで動きかねない。第三次世界大戦になりかねない。
 こんなこともみな「共同幻想」。思考停止で「なんとなく昔からやってきたことに、考えに過剰な価値を見出すマジックにかかっているのだ。