エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

七夕の出会い

2009年07月06日 | 日記
明日は七夕だ。
いま午後6時。

しかしまだ小糠雨が降り続いている。


ぼくたちは、宇宙に思いを馳せる。

何億光年の涯てにまで願いを籠めて。
牽牛と織女が無事出会えますように、と祈る。

ぼくは日本人のその思い遣りが堪らなく好きだ。

日本人の空への憧れは、七夕になり、かぐや姫伝説では月に帰る。
お月見をして、自然の移ろいを祝する。

なんという優しさであり、豊かな自然への愛情と畏怖であろうか。

星や、月を擬人化して祝う。
あるいは敬う。




ぼくたちは広大無辺の宇宙の中で、ちっぽけな存在でしかないことが分かる。

この宇宙の中では、僕たちの一生は瞬きにも満たない時間でしかない。

1光年は、光(電磁波)が1年間に進む距離と定義されている。
気が遠くなりそうではないか。


日本人は雨が降らずに、無事に天の川を二人が渡れるように祈る。
ところが、雨が降ると喜ぶ国もある。

雨は・・・二人が無事に会えた喜びの涙とする。

ふう~ん。
そっか!

と思う。

宇宙はグーグルアースでも覗ける。





成層圏から宇宙へと旅立ちたいものだ。

宇宙は漆黒の闇だという。
ぼくはそれでもいい。

幽体離脱して、超能力を得れば漆黒の闇なんて怖くない。
五感の全てを大動員して、ぼくは生きる。

このブログを書き続けること、その証になるだろうか・・・。
エピローグは終わりの始まりだけれど・・・。

無いものねだりかもしれないが、ぼくはせめて午前10時の太陽になりたい!
と、短冊に書きこもう。


因みに、こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星だ。
牽牛星は、わし座のアルタイルである。
夏彦星(彦星)とも呼ばれている。

星座の神話である。




明日の夜、天の川が鮮やかに天空にかかりますように。






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                         荒野人



神々の黄昏~ワグナーの魅力

2009年07月06日 | 日記
雨に垂れ込められた日。

ぼくは地下鉄の中でワグナーを聞いた。

楽劇「ニーベルングの指環」だ。

この楽劇は4夜に亘って上演される、壮大な作品である。
今日ぼくが聞いたのは4夜目に上演される「神々の黄昏」だ。



彼がワグナー。


能弁そうな顔をしている。

今日は音楽というより、ワグナーの内面に触れてみたいのだが・・・。

なぜ「ニーベルングの指環」かだが。

内容的には、それを手にした者は世界を支配できるという「ニーベルングの指環」をめぐり、小人族(ニーベルング)やヴァルハラの神々(ヴォータン)、巨人族(ファーフナー)、と英雄ジークフリートが相争うというもの。

ワルキューレの騎行がつとに有名だ。

ワグナーを聴くとき、ぼくは元気をもらいたい!という精神状態だ。

ワグナーの金管楽器の響かせ方が、たまらなく好きなのである。

とくに、この楽劇の主人公ジークフリートはロシアの革命家・バクーニンだと言われている。
ワグナーの子どもの名前も、ジークフリートだ。

ワグナー自身は、1849年、ドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加している。

当地に来ていたロシアの革命家のバクーニンの影響下に入る。
マルクスの友人である社会主義者のゲオルク・ヘルヴェークとも親交を結ぶ。
しかし運動は失敗したため全国で指名手配され、リストを頼りスイスへ逃れ、数年間を過ごす。

というのが公式なワグナーのプロフィールである。

能弁そうに写っているのは、けだし当然である。
ワグナーは革命家でもあったのだ。

そう思って改めてこの楽劇を聴いてみると、改めて壮大な構成である訳がよく分かる。


神々の黄昏である。
ぼくは山の夕景から、様々な連想を受ける。
他愛もなく感動するのである。





今日は一日雨かも知れない。
願いたいのは、雨上がりに山並が夕景の中でうっすらと浮かんでくれることである。


たとえば富士山が遠景で見えれば最高である。
こんな風に・・・。




ぼくのふるさと、山梨の景色である。





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                         荒野人



さきたま古墳群

2009年07月06日 | 日記



さきたま古墳群は、悠久の時間の流れを受け止めつつ佇ずんでいる。


奈良の古都にも匹敵する時が、今も静かに流れている。





前方後円墳のたおやかな二つの丸みが、穏やかに僕の中に入ってくる。

ぼくはそれをおし頂いて飲み下した。

ここの古墳群は5世紀後半から7世紀の始めまでの9基の墳墓が点在している。
勇壮なステージである。

この場所から出土した鉄剣の黄金で刻まれた銘は、こうなっている。

「わたしはワカタケル大王に仕え、天下を治めるのを補佐した」
と。
ワカタケルとは「雄略天皇」である。





関東一円には巨大古墳群が点在している。

この関東ローム層の大地を舞台に「覇権」が争われたのだ。

古代のロマンに遊弋するのは楽しい。

鬱蒼とした林を抜けると突然現れる古墳は、周囲を水堀で守られている。

ぼくは感動して、そこに立ちつくした。

血管の中を真っ赤な僕の血が奔流しはじめる。





ぼくは古墳に上った。

一円を見下ろす高みは、僕の精神を高揚させた。





ここにもあそこにも古墳が在って、民の竈は視野の内である。
豪族支配の理論が貫徹した建造物だ。

古代から現在まで、この国の歴史は「覇権」の歴史なのかもしれない。

さきたま古墳群は、駘蕩として流れる時間と、人が容(カタチ)作ってきた歴史の大いなる記憶である。

母なる大地からのメッセージでもある。


次回は、デジタル・ブックで紹介します。




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                         荒野人