エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

白雲木の実

2009年07月16日 | 日記



はくうんぼくの花だ。
花の付け方から言えば「うつぎ」の花にも似ているが、これは「はくうんぼく」である。

漢字で書けば「白雲木」と表現する。

納得!

いま東京の街路樹で、静かに実生を着けている。
木によっては、たわわに着けている。

この時期、一番綺麗だったのが有楽町のビッグカメラ近辺の街路樹であった。







            白雲木


        青い実生が実るころ
        白い花の欠片が
        深く沈澱してぼくを苛んでいる
        花のころ
        ぼくは美しき精神を失っている

        美しき精神は
        光を跳ね返す澄んだ水面から
        張力をもって水滴を落とし
        すがるように輝いた

        青い実生はその記憶を丸さの中に
        閉じ込めて
        カーンと陽光を跳ね返してしまった

        ぼくはその青い実生の
        丸い天体を怖れた
        未来永劫ぼくは天体を駆け続けるだろう

        誰かがこの箱の蓋を開けない限り
        美しき精神に水滴を落とさせてしまった
        ぼくへの責めとして

        未来永劫ぼくは
        この天体を駆け続けるだろう

        総状花序の韻のとおり咲き続ける
        白雲木の
        精霊に
        ぼくの汗を捧げるために







話題を大胆に変えると、中華料理に「雲白肉(ウンペイロウ)」という豚肉料理が存在する。
夏場にアッサリと食べられ、しかも体力の消耗を防ぎつつ回復力を保有している。



白雲木と雲白肉・・・。
なんの関係もないか?

いやいや、白い茹でた豚肉が緑のキューリで際立った料理である。
色彩感覚がよく似ているではないか。






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西谷津温泉

2009年07月16日 | 旅行
秩父路の続きである。

泊まった旅館の遠景。



周辺には何もない。無いから自然のままである。



田圃(たんぼ)の中に赤い社すらある。
信仰深くなければ厳しい自然と社会的差別の中で生きていけないのである。

ここ西谷津は「西の奴」であって、かつて差別の対象地域だった。
これは「荒 愛喜」さんから教えて頂いた。


朝早く旅館の周りを散歩していたら、ヤギがいた。
立派な角と髭を持っている。



乳を絞るのだろうか?
農耕に耐えられる体力はないからである。

この旅館の夕食は、いかにも山の中らしいメニューが並んだ。



現在の香辛料を多用して味の濃い料理に馴れていると、味は物足りない。
しかし、目では充分料理を満喫できる。



これで酢の物だけがテーブルに載っている。
次々と料理が運ばれて来て、宴会は盛り上がった。

ここでは季節が遅れているはずなのに、畑のものは進んでいる。
「そうめん瓜」が玄関前に置かれていた。



ここ西谷津では「そうめんかぼちゃ」と呼称しているようだ。
メニューにはそう書いてあった。

そうめん瓜はぼくの大好物である。
夏は、冷たくして食べると美味だ。

西谷津温泉は単純泉だけれど、露天でのんびりと入っていると気持ちが和らいで来る。

西の奴は、とても良い奴である。






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