癌との壮絶な闘いを目の当たりにされている方は多いと推察する。
ぼくも、両親の闘いを見守ってきたし、義理の兄の闘いを心底から支えようと努力を傾注してきた。
だがしかし、全てが徒労に終わっている。
巾着田の彼岸花。
兄の遺影に捧げた一枚である。
生と死を賭けた壮絶な闘いには、感動する。
両親が生死の境を異にした時、落涙するしか無かった。
これは、本人の苦しみとは別である。
本人は生きようとする。
周りも生き抜いて欲しいと渇望する。
そのささやかな、しかし壮大な希望は「抗ガン剤」の投入で、いとも簡単に打ち破られてしまう。
本人は、抗ガン剤を体内に投入された瞬間に生きる意欲すら叩きのめされてしまうのだ。
いや、その意識すら遠のいてしまう。
これは悲しい現実である。
吐き気がする・・・、頭髪が抜け落ちる・・・。
それらは薬の副作用だと医者は言う。
違う、抗ガン剤は正常な細胞も癌細胞と一緒に叩いてしまうのだ。
だから、副作用ではなくその正常な作用であり効果なのだ。
副作用などと言うのは詭弁なのではないか。
副作用などと言うと医学的知識に乏しいぼくたちは、いかにも抗ガン剤が効いていると錯覚する。
ぼくたちは、抗ガン剤が癌細胞だけに効いているのではないことを知らねばならない。
これはぼくの経験から言ってもそうだ!
父も母も、そしてかけがえのない義兄の臨床例もそうだった。
抗ガン剤を投入した時点で、三人とも最早生命維持の力を急速に失っていった。
それは、悲しいほど・・・そうだった。
癌との闘いを支えるために、勉強すればするほど絶望的になってくる。
そんな中、一縷の光明を見いだしたのが前述した野島先生のお話だったのである。
野島先生は、現在医学は殺人を犯していると言う。
医者も然り、だと言う。
それでも癌患者とその家族は「藁にも縋る思い」で医者を信頼するのである。
医者の言葉に縋り、言いなりの治療を甘受するのである。
そのため時として「詐欺まがい」の療法に莫大な私財をなげうったりもする。
神霊療法もその一つである。
壷を買ったり、印鑑を買えば病が治るなら誰でも購入する。
そんな馬鹿げたトークすら通用する。
そして、患者や家族はそんなトークに乗り壷を買い、印鑑を買う。
ある例は「赤富士」の絵を買って玄関に掲げる。
それも法外な価格で購入するのである。
野島先生のお話で、驚いたことがある。
「抗ガン剤」はあの「マスタードガス」がその原点だというのである。
ここはアウシュビッツ。
ナチスがヒトを大量に殺す場所
イラン・イラク戦争でイラクがクルド人の集落に散布したあれである。
日本ではオウム真理教がマスタードガスの研究を行っていたけれど、サリンのほうが取り扱いが簡単だったのでサリンを生産して、地下鉄内で散布した。
あの恐るべき結果はまだ記憶に新しい。
日本軍も製造していた歴史的事実がある。
ここは、マスタードガス貯蔵庫跡。
こんな猛毒の成分を抗ガン剤と称して投与されてはたまらないではないか。
正常な細胞も痛むわけである。
野島先生は「切るべき細胞は切らねばならないが、その他の癌細胞はレーザを照射する治療で十分であって、その後微量元素を摂取しつつ次第に癌細胞を消滅させていけば良い!と言われる。
先生は、現在病は微量元素を摂取することで治癒すると指摘する。
糖尿病もそうだし、高血圧もそうだと言う。
ぼくは、この先生の指摘をまだ全面的に信じているわけではないが・・・その説得力に賛同する。
だからこうして記事にしている。
ヒトは加齢に従って、退化していく。
それはそうだろう!
しかし、現在の食や生活習慣で罹患する病は、加齢とは無関係である。
ぼくはいま、先生の推奨する水を飲み始めた。
限りある「生命の炎」を完全燃焼させたいからである。
燃え滓一つ残さずに生きられれば、その炎は鮮烈で一点の曇りもないであろうと思うのである。
エピローグを書き連ねているぼくは、こうして生きている。
中野重治の作品「むらぐも うたのわかれ」。
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
この一句の出典は、唐にいた于武陵(うぶりょう)という人が作った五言絶句「勧酒」を井伏鱒二が訳したものだ。
生きる勇気を鼓舞する句である。
いま小林多喜二の蟹工船が若者に読まれていると聞く。
映画化もされているようだが・・・それは映像としては全くの別物だと思う。
何より、時代考証がでたらめである。
あの映画は小林多喜二の「蟹工船」とは似て非なるものである。
だが、現在があの時代に驚くほど酷似しているのは否定できない現実である。
曰く、閉塞感。
活路が見いだせないのである。
迷路にはまっているのが現在人であるのかもしれない。
石川啄木が歌ったような現実が横たわっている。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る」
である。
この歌を歌った石川は評論もものにしている。
「時代閉塞の現状」である。
函館の海沿いにある石川の銅像である。
ものうげに頬杖をついて座っている。
石川啄木は、時代を鋭く読んだ歌人である。
http://www.takuboku.com/
石川啄木記念館である。
啄木の産まれた渋民村、岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民9番地 にある。
とまれ、現在人は膿んでいるのかもしれない。
ぼくもその膿んでいる一人である。
救われるのは何時であろうか。
ぼくは救われることを熱烈に希求する。
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荒野人
ぼくも、両親の闘いを見守ってきたし、義理の兄の闘いを心底から支えようと努力を傾注してきた。
だがしかし、全てが徒労に終わっている。
巾着田の彼岸花。
兄の遺影に捧げた一枚である。
生と死を賭けた壮絶な闘いには、感動する。
両親が生死の境を異にした時、落涙するしか無かった。
これは、本人の苦しみとは別である。
本人は生きようとする。
周りも生き抜いて欲しいと渇望する。
そのささやかな、しかし壮大な希望は「抗ガン剤」の投入で、いとも簡単に打ち破られてしまう。
本人は、抗ガン剤を体内に投入された瞬間に生きる意欲すら叩きのめされてしまうのだ。
いや、その意識すら遠のいてしまう。
これは悲しい現実である。
吐き気がする・・・、頭髪が抜け落ちる・・・。
それらは薬の副作用だと医者は言う。
違う、抗ガン剤は正常な細胞も癌細胞と一緒に叩いてしまうのだ。
だから、副作用ではなくその正常な作用であり効果なのだ。
副作用などと言うのは詭弁なのではないか。
副作用などと言うと医学的知識に乏しいぼくたちは、いかにも抗ガン剤が効いていると錯覚する。
ぼくたちは、抗ガン剤が癌細胞だけに効いているのではないことを知らねばならない。
これはぼくの経験から言ってもそうだ!
父も母も、そしてかけがえのない義兄の臨床例もそうだった。
抗ガン剤を投入した時点で、三人とも最早生命維持の力を急速に失っていった。
それは、悲しいほど・・・そうだった。
癌との闘いを支えるために、勉強すればするほど絶望的になってくる。
そんな中、一縷の光明を見いだしたのが前述した野島先生のお話だったのである。
野島先生は、現在医学は殺人を犯していると言う。
医者も然り、だと言う。
それでも癌患者とその家族は「藁にも縋る思い」で医者を信頼するのである。
医者の言葉に縋り、言いなりの治療を甘受するのである。
そのため時として「詐欺まがい」の療法に莫大な私財をなげうったりもする。
神霊療法もその一つである。
壷を買ったり、印鑑を買えば病が治るなら誰でも購入する。
そんな馬鹿げたトークすら通用する。
そして、患者や家族はそんなトークに乗り壷を買い、印鑑を買う。
ある例は「赤富士」の絵を買って玄関に掲げる。
それも法外な価格で購入するのである。
野島先生のお話で、驚いたことがある。
「抗ガン剤」はあの「マスタードガス」がその原点だというのである。
ここはアウシュビッツ。
ナチスがヒトを大量に殺す場所
イラン・イラク戦争でイラクがクルド人の集落に散布したあれである。
日本ではオウム真理教がマスタードガスの研究を行っていたけれど、サリンのほうが取り扱いが簡単だったのでサリンを生産して、地下鉄内で散布した。
あの恐るべき結果はまだ記憶に新しい。
日本軍も製造していた歴史的事実がある。
ここは、マスタードガス貯蔵庫跡。
こんな猛毒の成分を抗ガン剤と称して投与されてはたまらないではないか。
正常な細胞も痛むわけである。
野島先生は「切るべき細胞は切らねばならないが、その他の癌細胞はレーザを照射する治療で十分であって、その後微量元素を摂取しつつ次第に癌細胞を消滅させていけば良い!と言われる。
先生は、現在病は微量元素を摂取することで治癒すると指摘する。
糖尿病もそうだし、高血圧もそうだと言う。
ぼくは、この先生の指摘をまだ全面的に信じているわけではないが・・・その説得力に賛同する。
だからこうして記事にしている。
ヒトは加齢に従って、退化していく。
それはそうだろう!
しかし、現在の食や生活習慣で罹患する病は、加齢とは無関係である。
ぼくはいま、先生の推奨する水を飲み始めた。
限りある「生命の炎」を完全燃焼させたいからである。
燃え滓一つ残さずに生きられれば、その炎は鮮烈で一点の曇りもないであろうと思うのである。
エピローグを書き連ねているぼくは、こうして生きている。
中野重治の作品「むらぐも うたのわかれ」。
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
この一句の出典は、唐にいた于武陵(うぶりょう)という人が作った五言絶句「勧酒」を井伏鱒二が訳したものだ。
生きる勇気を鼓舞する句である。
いま小林多喜二の蟹工船が若者に読まれていると聞く。
映画化もされているようだが・・・それは映像としては全くの別物だと思う。
何より、時代考証がでたらめである。
あの映画は小林多喜二の「蟹工船」とは似て非なるものである。
だが、現在があの時代に驚くほど酷似しているのは否定できない現実である。
曰く、閉塞感。
活路が見いだせないのである。
迷路にはまっているのが現在人であるのかもしれない。
石川啄木が歌ったような現実が横たわっている。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る」
である。
この歌を歌った石川は評論もものにしている。
「時代閉塞の現状」である。
函館の海沿いにある石川の銅像である。
ものうげに頬杖をついて座っている。
石川啄木は、時代を鋭く読んだ歌人である。
http://www.takuboku.com/
石川啄木記念館である。
啄木の産まれた渋民村、岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民9番地 にある。
とまれ、現在人は膿んでいるのかもしれない。
ぼくもその膿んでいる一人である。
救われるのは何時であろうか。
ぼくは救われることを熱烈に希求する。
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