エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カラスウリの花

2009年07月19日 | 日記
古い生垣にカラスウリの花が咲いている。

その横には、もう実が青々と実っていた。




              カラスウリ


        白い繊維のその花は
        ぼくの気持を編みこむように咲いている

        ぼくはその編み物に
        確かに気持を投入している
        ひとを愛するという形而上の
        面差しを

        カラスウリのそのたおやかな白さは
        ぼくのこころを悪戯(いたずら)するように
        上下左右に編み続けている

        やがて青々とした結実が約束されているのだとしたら
        ぼくは
        その悪戯を甘んじて受けよう

        たとえ弄(もてあそ)ばれているのだとしても
        そう仮定しても
        いまぼくは充実している

        カラスウリの花の白さは
        ぼくの気持を確かにしかし密やかに
        編みこんでいる




カラスウリの花はもう終わりに近づいている。
生垣で、まるで繊維のように咲いているのが花である。

可憐な花だ。

今日その生垣の内側で、朽ちかけた井戸があった。



寂しくなってしまう佇(たたず)まいだ。





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                         荒野人


吉見百穴~日本のカッパドキア

2009年07月19日 | 日記
埼玉の東松山にある「吉見百穴」は、古墳時代末期の横穴墓である。

その様子は、トルコのカッパドキアの横穴式住居と似ている。
似ているから、日本のカッパドキア・・・と実はぼくが勝手に命名した。
しかしカッパドキアの穴は、縦横無尽に穿たれており、スケールは大きいし現在も人が住まいしている。



次いで、吉見百穴である。



こうした横穴が、ほぼ小高い山全体に穿たれている。



時が進んで、風化しようとしている。
不思議な空間が山全体に広がっている。

また、この百穴の手前には「岩室観音」が山の中腹に建立されている。
ここはパワースポットでもあるかのように、近づくと冷気を感じる場所である。

情けないが、ぼくはこの冷気に恐れて山門からその上に行けなかった。
ヒトの情念がぼくの痛点に突き刺さってきたのだ。

畏敬の気持を改めて捧げたいと思う。





やはり山に穴が穿たれている。
穴には仏がそっと置かれていた。

ここはすぐ傍を高麗川が流れている。



やはり渡来系の然るべき立場の方たちの墳墓だったのだろうと推測できる。

埼玉県は「さきたま古墳群」といい、ここ「吉見百穴」といい、歴史が滔々(とうとう)と流れている。

あるいは、連綿とした歴史を感じると言っても良いだろう。

ぼくはこうした遺跡が大好きだ。
ヒトの生きてきた証だからである。

吉見町のホームページである。
百穴のページになっている。

http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_hyakuana.html


訪問されたらいかがだろうか!

因みに、この地名は「よしみひゃくあな」と読む。
「ひゃっけつ」ではありません。






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