エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空

2009年07月13日 | 日記


今日の空は、暑さを運んで来た。
青空に雲がお絵かきをして季節を訴えている。

昨日九州南部が梅雨明けした。

関東甲信越地方も、程無くして梅雨明けだろうか・・・。

シトシト雨からの解放は嬉しいけれど、今度は拭っても拭っても吹き出る汗との闘いの日々がやって来る。

これは堪らない。

メタボのぼくとしては、出来るなら常に春と秋であれば季節賛歌を捧げたい気分だ。
翻って(ひるがえって)、春と秋になれば「日本は四季があるから素晴らしい!」などとノタマウ事になる。

ぼくは自分勝手だ。
わがままなのかもしれない。




           空に捧げる



     空が天にあって
     一個の人格を持つとしたら
     ぼくは
     間違いなく空に恋する

     あるときは抜けるような色彩でぼくを彩り
     またあるときは濃い灰褐色で
     ぼくの悲しみを覆い隠してくれる
     
     ぼくは空に守られ
     空にささえられて
     来し方行く末を歩んでいきたい

     ぼくに憤怒の季節が到来したとしても
     堪え
     忍び
     やがて豊穣の海にそそがれていくに違いない

     それは歓喜の叫びである
     慟哭は空になじまない

     歓喜によって
     いろどられる
     べき
     である

     空よ  
     ぼくの空よ

     いつまでも
     ぼくの上にあれ
     と





今日は空が綺麗だ。
空はぼくの母とも言える。

母を亡くしていらい、空は朝な夕なに僕の心の隙間を埋めてくれた。

空に捧げる賛歌は、ぼくの叫びなのかもしれない。



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秩父路2~紫陽花の終りに

2009年07月13日 | 日記
紫陽花が終わりに近づいている。

そうは言っても、遠目にはまだ鑑賞に値する。



秩父路は紫陽花路でもあることを痛感した。
素晴らしいロードになっている。

秩父路は山の間を縫っている。

だからであろうか、所々に立派な神社へのアプローチが顔を覗(のぞ)かせる。
かつて、人々は信仰なしに生きることは出来なかったのかもしれない。



その厳しい自然の中での生活が、毅然(きぜん)とした気風を育んだのだろうか。
秩父困民党の蜂起は、至極当然な行為だったのだろう。

秩父で敗北した農民たちは、長野まで逃避行を続けた。

自らの矜持(きょうじ)に生きた人々である。

朝、散歩していたら何処からか「裂帛(れっぱく)の気合」が耳に飛び込んで来た。
見ると、道場があって竹刀を合わせる人々がいる。



こうして、自らを鍛練するのだろう。
しばらく、その気配に身を委ねていた。

朝から気持の良い精神の昂ぶりを感じたのだった。



秩父路の紫陽花のみ、デジタル・ブックにした。
御一覧を乞うものである。


秩父路を行く




秩父路については、もう少し触れたい。
数回は記事をお見せする事となると思う。

退屈でなかったらこれからもお付き合いいただきたいと思う。




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