エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

冬薔薇(ふゆそうび)にはまだ早いけれど

2011年10月11日 | 
薔薇は夏の季語である。
薔薇もフユソウビとなれば冬の季語となりうるのである。

日本語の美しさと、語韻の豊かさである。



薔薇の「かほり」に噎せかえる事は無い。
しみじみと「かほる」のである。

あるいは、しっとりと「かほる」のである。



薔薇は花全体を見るより、部分を鑑賞するのが良い。
満開になると、花弁にはシミが出来る。
その景色が良いとする意見もあるけれど、ぼくはそう思えない。



もし全体を見るなら、蕾が良い。
この赤色系は「レッド・ダブル」と命名されている。



赤ときたら、次は白系である。



すでに蕾段階で花弁にシミが出来てしまっている。
だがしかし美しい。



白のこの薔薇「シルエット」と発します。
そのものズバリのネーミングである。



この黄色系は「バラ・ソリドール」と命名されている。



この堅く貞操を守ろうとするつぼみは好もしい。
ぼくの好きな感じであって、花開いた時の美しさを想像させてくれる。

それが好もしいではないか。



この橙色は「王朝」と命名された。

艶(あで)やかで賑々(にぎにぎ)しいのである。



言われてみると、そんな感じになってくる。
いわく、侵し難い気品である。

だがしかし、拒まれれば拒まれるほど、その花芯に迫りたくなるのである。
妖しい「かほり」なのだ。

薔薇は・・・だから罪深いのである。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人