エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

みちのく大変・・・舟と車の瓦礫の山

2011年10月29日 | 日記
昨日も「大変」という形容詞を使った。
今日も「みちのく大変」なのである。

この大変という形容詞は、そもそも富士山宝永大噴火の折り、江戸までもが降灰被害にあって富士吉田はもとより八王子などの地域では壊滅的被害を受けたのであって、農民が「富士山大変」と言った歴史を継承しているのである。
宝永大噴火は宝永4年11月23日(1707年12月16日)に始まり12月8日(12月31日)に終焉した。
この期間噴火は一様ではなく最初の4日は激しく噴火し、小田原から江戸まで広い範囲で降灰の被害にあったのであった。


1・・・第1火口  2・・・第2火口   3・・・第3火口   4・・・宝永山である。

噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)に推定マグニチュード8.6〜8.7といわれる宝永地震が起こったのである。
この地震は定期的に巨大地震を起している2箇所の震源域、すなわち遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられている。
地震の被害は東海道、紀伊半島、四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達したとされているのである。



歌川広重「東海道53次」の浮世絵である。
53次名所絵図第14・原、である。

宝永大噴火は、まさに「大変」なのであった。

今日は舟と車の大変である。
津波の猛威、自然の人智を超えた破壊力の凄まじさを実感して頂きたいのである。
普段の暮らしの中で、舟も車も人の力を遥かに凌駕する。

だがしかし、自然はそうした思いを数段上回って瞬時に巨大な力を出すのである。
自然の力は、時として万力のようでもあるけれど・・・時として瞬間のエネルギーの発露を示す破壊力を有するのである。
これが怖ろしいのである。



タイヤの山である。
この山が連なっているのである。



考えられない毀され方である。
この車もポツンと一台、根こそぎ津波に持っていかれた街中に放置されてあった。



埠頭である。



その埠頭の横には車車車・・・。
車の中に、舟一艘。



近ずくと、こんな感じである。



生活を支えてくれた車たちである。
愛おしく、悲しい。



舟である。
ここまで破壊されてしまうと、最早再生は出来ない。



破壊された舟が、累々と連なる。



漁具も破壊されたまま放置されている。
なんという、悲惨!



沈められた船の舳先である。
港を塞いでしまっている。

これこそが、みちのく大変!
である。



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 荒野人