エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

花の色はうつりにけりないたずらに

2012年04月09日 | ポエム
   花のいろは
    うつりにけりな
     いたずらに
      わが身世にふる
       ながめせしまに

であったか?
絶世の美女と詠われた、小野小町の歌である。

今を旬と咲き誇る花々が、例え名も無き花でも、それはそれは見栄えする美しさである。
それが春というものであるらしいのである。



同時に、ぼくの周りは徒に齢を重ねている人は誰一人いない。
みなが旬を生きている。
嬉しい事である。



和歌の申し子ともいうべきある女性は、今が盛りとその魅力を満開にしている。
きっと、最高のパートナーに出会うだろうと予感させる湖のような女性である。







       過ぎ行けり心豊かな花見女        野 人





齢を重ねて、その齢に相応の美しさは誰にも邪魔されない侵しがたい魅力を湛えるものである。
春の色もまた、そうしたものである。







       花冷えの息吹の底や酒酌めり         野 人




竹林に佇む姿。
花に囲まれたリビングで食事する姿。
清らかな湧水の流れに身を委ねるたおやかな姿。
淡々(あわあわ)とした気配を身に纏う姿。
軽やかに歩き前へと進む姿。
爽やかな高原の軽やかな大気に洗われている姿。
草が萌え出した草原の少女の様な姿。



よしんば、媼となってもである。
ただ、翁は結構大変である。
何が大変だって?
それは聞かない聞かない・・・。



やはり女性がいつになってもヴィーナである。
フローラだってそうだ。
バッカスが女だったらサマにならないではないか。

etc,,,etcである。



「花のいろは うつりにけりな いたずらに」
ではない。

移ろうのは必然であるのだ。
その移ろいの時間こそが女を磨く時間なのである。

ただ男は黙ってそれを眺めているしか能が無い存在である・・・。
と言える。



そう男の純情なる寂しさである。
せめて春色に身を染めて、一時の春風駘蕩に委ねていたいのである。





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      荒 野人