エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

啄木忌

2012年04月16日 | 旅行
ソウルで4月13日を迎えた。
啄木忌である。

嗚呼、忘れんとして忘れ得ぬ歌人である。
社会正義に目覚め、時代に敏感な歌人であった。

小説を書きたかったのに、57577の短歌に才能を開いてしまった。
鬱屈した精神を抱えつつ、だがしかし27年という命を全うしたのであった。
デカダンスでもあった。



一握の砂は処女歌集である。
この処女歌集の、一握の砂の意味は親戚や親しい人が亡くなった時に近い親族から順に、一握りの土をふりかける風習から来ているのである。
つまり土葬の一握りの土なのである。

次いで、1912年没後に刊行されたのが悲しき玩具である。
《一握の砂》以後の194首と歌論2編を収める。
1首3行書きの平易な言葉で閉ざされた時代に生きるものの切迫した生活感情を歌いあげ、明治末期の詩的精神を代表する作品となった。



ぼくが一番好きな歌である。

      友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
      花を買い来て
      妻としたしむ

啄木の思うように行かない作家活動。
加えて病気との闘い。

啄木の鬱鬱としたしかし、妻を愛する心情が伝わってくるではないか。
胸が潰れるように熱く痛い。



    東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

    砂山の 砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く おもひ出づる日

    たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず

    はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る

    ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

    かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川



ぼくの世代、誰でも一度は口の端に載せた歌である。

さて、ソウルで啄木忌の俳句を詠んだ。
ぼく自身の青春の蹉跌である。





      海峡の街訪ね行く啄木忌           野 人



      その街の記憶とどめる啄木忌         野 人



      歌われし韻律淋し啄木忌           野 人





ぼくの青春時代に、この俳句を捧げる。
青春の追悼である。







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      荒 野人