緑立つ候である。
そもそも、この緑立つは松の芽を言うのである。
若緑とも言う、春の代表的な季語である。
桜は散り、花筏を流し、やがて八重が咲き今は葉桜となった。
なんたる変遷の鮮やかさであるのか。
桜を、あくまでもしゃぶり尽くさんとする日本人の桜好きが、ぼくにも理解できるしDNAの中に連綿として流れているのである。
毎年「ギンナン」を拾う銀杏並木である。
拾いきれないギンナンは、自転車や人に踏みつぶされて異臭を放つ。
臭いは美味いのである。
咲き急ぐ花の盛りの気ぜわしく 野 人
花の季節は、急くように過ぎ去ろうとする。そして若緑の候へと進んでいる。
サツキの花のスロープだけれど、主人は誰なのか?
と問いたくなる風情である。
良く良く目を凝らすと、ずっと下の目線に軽やかな花が色彩を主張する。
そう、密やかな、しめやかなな花たちがいる。
その花たちは、いじらしいほど愛おしい。
カラスノエンドウのピンクの花である。
良く見ると、肩を寄り添うように群れていることも多い花である。
ドウダンツツジの花である。
満天星(どうだん)の花白々に眠りたる 野 人
ドウダンツツジの花は白い。
まるで白い妖精たちのようでもある。
そしてその形は、スズランのようでもある。
その咲き方は、殆どが若葉の下に隠れるように咲く。
思慮深げであって、奥床しいのである。
ドウダンツツジの若葉である。
ハナミズキ幾層重ね咲きにけり 野 人
今、空を見上げるとハナミズキが彩っている。
淡く、時に鮮やかに、しかして鮮明に取り取りに咲いて目を楽しませてくれるのである。
若き緑が深まると、万緑となる、
白、という色が誰にも似合う季節が近づきつつあるのだ。
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荒 野人
そもそも、この緑立つは松の芽を言うのである。
若緑とも言う、春の代表的な季語である。
桜は散り、花筏を流し、やがて八重が咲き今は葉桜となった。
なんたる変遷の鮮やかさであるのか。
桜を、あくまでもしゃぶり尽くさんとする日本人の桜好きが、ぼくにも理解できるしDNAの中に連綿として流れているのである。
毎年「ギンナン」を拾う銀杏並木である。
拾いきれないギンナンは、自転車や人に踏みつぶされて異臭を放つ。
臭いは美味いのである。
咲き急ぐ花の盛りの気ぜわしく 野 人
花の季節は、急くように過ぎ去ろうとする。そして若緑の候へと進んでいる。
サツキの花のスロープだけれど、主人は誰なのか?
と問いたくなる風情である。
良く良く目を凝らすと、ずっと下の目線に軽やかな花が色彩を主張する。
そう、密やかな、しめやかなな花たちがいる。
その花たちは、いじらしいほど愛おしい。
カラスノエンドウのピンクの花である。
良く見ると、肩を寄り添うように群れていることも多い花である。
ドウダンツツジの花である。
満天星(どうだん)の花白々に眠りたる 野 人
ドウダンツツジの花は白い。
まるで白い妖精たちのようでもある。
そしてその形は、スズランのようでもある。
その咲き方は、殆どが若葉の下に隠れるように咲く。
思慮深げであって、奥床しいのである。
ドウダンツツジの若葉である。
ハナミズキ幾層重ね咲きにけり 野 人
今、空を見上げるとハナミズキが彩っている。
淡く、時に鮮やかに、しかして鮮明に取り取りに咲いて目を楽しませてくれるのである。
若き緑が深まると、万緑となる、
白、という色が誰にも似合う季節が近づきつつあるのだ。
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