ヤマボウシ。
中国語で書くと「四照花(シショウカ)」である。
去年、中国語表記で詠んだ。

もう花は終わりに近づいている。
白い、忍者の手裏剣のような花が咲いている。
木によっては、びっしりと咲いている。
でも、楚々と咲いているのが風情があって良い。

「ヤマボウシ雑踏の街掃き清む」

この実が赤く熟すと、ねっとりとして甘い。
秋の風物詩である。
形状は、釈迦頭の小型である。
旅は日を急がぬごとく山法師
森 澄雄
という俳句がある。
森澄雄は、ぼくの俳句修行を著書で手伝ってくれた俳人である。
その著作は、気付かせてくれる文章が多いのである。
残念ながら、すでに鬼籍に入っている。

今年、随分写真に撮ったけれど見つけられない。
もっとも、毎日2~3百枚は撮り続けているから、むべなるかなである。
日付と共に、タイトルを付けねばなるまい。
などと、考えている。
けれど、齢を重ねるとともに「億劫」である。

ぼくは、この四照花。
いつも胸ワクワクとして眺めている。
そうおさな子のように・・・。
因みに、花ことばは「返礼」「友情」である。
荒 野人
中国語で書くと「四照花(シショウカ)」である。
去年、中国語表記で詠んだ。

もう花は終わりに近づいている。
白い、忍者の手裏剣のような花が咲いている。
木によっては、びっしりと咲いている。
でも、楚々と咲いているのが風情があって良い。

「ヤマボウシ雑踏の街掃き清む」

この実が赤く熟すと、ねっとりとして甘い。
秋の風物詩である。
形状は、釈迦頭の小型である。
旅は日を急がぬごとく山法師
森 澄雄
という俳句がある。
森澄雄は、ぼくの俳句修行を著書で手伝ってくれた俳人である。
その著作は、気付かせてくれる文章が多いのである。
残念ながら、すでに鬼籍に入っている。

今年、随分写真に撮ったけれど見つけられない。
もっとも、毎日2~3百枚は撮り続けているから、むべなるかなである。
日付と共に、タイトルを付けねばなるまい。
などと、考えている。
けれど、齢を重ねるとともに「億劫」である。

ぼくは、この四照花。
いつも胸ワクワクとして眺めている。
そうおさな子のように・・・。
因みに、花ことばは「返礼」「友情」である。
荒 野人