エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

きみはクレマチスを見たか・・・鉄仙の秘密

2011年05月17日 | 
きみはクレマチスの秘密を知っているか?



クレマチスの秘密は、花弁が無い事である。
クレマチスの花は「額」で見せているのである。



クレマチス(鉄仙、Clematis)は、キンポウゲ科センニンソウ属で、クレマチス属ともいうのである。
鉄線と表記する事が比較的に多い。



何といってもクレマチスの美しさは、その色彩の鮮やかさにある。
街中で出会うと、目が覚めたかのような錯覚に陥る。

それほど鮮やかであるのだ。



クレマチスは「蔓性植物の女王」と呼ばれているのである。



しかも、様々な額の色を持っている。
垣根で咲けば千変万化に咲き誇り、花壇で咲けば見遥かすような存在感を示す。



花言葉は相反する思想が反映されている。
「精神的な美しさ」「高潔」「旅人の喜び」「心の美しさ」

そして、そのねたみやそねみであろうか・・・。
「貧弱」「たくらみ」である。



ぼくは「香しき心の美」をもって嚆矢としたい。
その色彩の多様さから、次元を超えた美学を感じるのは、ぼくだけであろうか。






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 荒野人

都忘れと勿忘草の可憐さよ

2011年05月16日 | 
今日の東京はカラリとした好転に恵まれたのであった。
空を遊弋する雲はいかにも気持よさげであって、見上げるぼくも気持が晴れ渡ったのである。



ブルー系の二つの花が中心であるけれど、ムラサキツユクサもいま鮮やかである。



繊細な花であるけれど、その生命力は強い。
どんな環境にあっても、次から次へと花を開く。



さて以前に紹介したけれど勿忘草である。
そうイタリア民謡に歌われるワスレナグサである。

    忘れないで
    過ぎたあの頃を
    夢のような
    二人の思い出

と歌い上げるイタリア民謡である。

「私を忘れないで」「真実の恋」「真実の愛」
が花言葉である。



これはミヤコワスレである。
優雅で憂いを含んだ名前である。

名前の由来が、承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされるのであるから、憂いもてんこ盛りであるはずである。

承久の乱は鎌倉時代である。
公家政治が幕府、武家政治へアンチテーゼを提起した歴史的一ページである。

従って、花言葉もそうした背景に沿ったものである。

「また会う日まで」「しばしの別れ」「しばしの憩い」「しばしの慰め」
となるのだ。

今日のようなカラリとした好天で、なんとなくぼくの気分も高揚した。
何といっても空が良い。



言葉や空気のようなもの、あるいはまた言い回しや表現に敏感な一日であった。



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 荒野人



八ヶ岳アウトレットのパワー・スポット

2011年05月15日 | 遺跡
八ヶ岳の麓は、ストーン・サークル遺跡や石の文明の記憶がそこかしこに点在するスポットである。

ぼくは毎年数回は出かける八ヶ岳アウトレットであるけれど、何となく不気味で避けてきた場所があった、
店舗と駐車場の間に拡がる雑木林や赤松林である。



このように、人の手がかけられた列石遺跡と思える場所が視野の限り存在するのである。
この石の並び方は、何か意味ありげである。



これはドッグランの囲いの傍にある石積みである。
サークルを成している。



こうした墳墓のような石積みも限りなく存在する。
なんとなく不気味であり、オーラが放たれている。

曰く、近寄りがたいのである。
で・・・ぼくはこの林の中に分け入ることを躊躇い続けてきたのであった。



神座石である。



駐車場に向かう通路から、ほんの数歩入った場所に鎮座している。
石の上に石碑が突き刺さっている。

いかなる神がお座りになったのか。
不思議な空間である。

近寄りがたい雰囲気のある場所である。



もう一か所、水源がひっそりと、しかし断固として存在する。



この変哲もない、枯葉に埋もれた場所である。



ほんの1メートルで、この流れになる。



3メートル先では既に小川である。
途中で湧水が数本合流しているのである。

勘左衛門湧水である。

この位置は、駐車場方向を望んでいる。
距離にして水源地から15メートル程度である。



15メートル先にある水源地を望めば注連縄(しめなわ)も垂れ下がっている。
縄文の時代から、この水源地は守られてきたのであろうか・・・。

どちらも、ぼく以外は人影とて無い。

何者かが蹲(うずくま)っている気配があるのである。
この場所は、間違いなくパワー・スポットである。




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 荒野人

シャクナゲに触れもせず・・・花木の王

2011年05月14日 | 
いま石楠花を見ずして、一体いつ見ると言うのだ!



石楠花は花木の王である。
因みに花木の女王は薔薇である。



花言葉は「威厳」「荘厳」「警戒心をもて」である。



確かに、危ういほどの美しさが石楠花である。
そして触れれば壊れるのではないか!
と思えるおぼろおぼろした花である。

石楠花は、天国で咲いているのではないかと思えるのだ。



アメリカのワシントン州では州花としている。



英名はロードデンドロン、ギリシャ語で「バラ色の木」という意味である。
ふむふむ「女王色した王の木」であるのか。

さては・・・石楠花はぼくと一緒で女性の神々しさには弱いのだな!!



その証左でもあろうか、この石楠花の庭園の一画で弥勒菩薩が微笑んでいる。
ふくよかな優しいお顔である。

菩薩の貌はセクシュアルな印象を強く持たせる。
天平美人のお顔である。

女性は、やはり神であるのだ。




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 荒野人

久しぶりのビッグ・サイト(国際展示場)である

2011年05月13日 | 日記
今日は、ビッグサイトで興味のある催しがあって出かけたのである。
天気予報では7月並みの気候だと言うので薄着になって家を出た。

しかし言うほどではなく、腕まくりで気候を楽しめた。
薄曇りの天気で車内でも快適に居眠りができたのである。



クリークは穏やかであった。



ビッグサイトの偉容は変わらず、ぼくは弁当を買って屋上で頂いたのである。
コンビニでは一大のレジに30人以上が列をなし、弁当一個を買い求めるのに十数分並んだのであった。



暑くなく、寒くない屋外での弁当は文句なくうまい!
ペロッと平らげて、炭酸飲料を一本片手に帰宅したのであった。

ぼくは炭酸小僧である。



ここは豊洲のホームから新橋方向を望んでいる。



ビッグ・サイトからは観覧車がよく見えるのである。



帰り道ハクウンボクの白い花が咲いていた。

明日は土曜日。

末娘が二人目の出産準備で来訪する。
健康で健やかな子どもが産まれてくれれば嬉しい。




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 荒野人