エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

明治神宮という静謐

2011年06月25日 | 日記
原宿から「すぐ」、代々木から「420メートル」の位置にある。
明治神宮の森である。



大きな鳥居である。
この鳥居は原宿駅を出る、山手線の跨橋を渡るとすぐ目の前である。



この鳥居の手前には公衆電話の箱がある。
雰囲気にマッチした電話ボックスである。



歩いていくと、処々に脇道があり深い森を感じさせるのである。
いま明治神宮の見どころは二つ・・・いや三つというべきか。

一つ目は、やはり参拝するという厳粛な行為である。

日本という国の歴史のエポックを成した時代に天皇であった事実。
その後、天皇の御名御璽で幾つかの戦があったこと。
明治、大正、昭和、平成と三時代の始まりを告げる天皇とその皇后が祀られているのである。



やはり参るという行為を厳かにする事であります。



処女である事が、その必要条件と言われる巫女さんが赤い袴に白い着物で境内を歩いている。
実に差別的条件である。

現実にはそうした条件は撤廃されているに違いないのであるけれど、なんだか切ないのである。

さて二つ目は、花菖蒲である。



明治神宮を設営する場所として選ばれた代々木御料地付近は、元々は森がない荒地であった。
そのため、神社設営のために人工林を作ることが必要となり急遽植林が行われたのである。

明治神宮は、内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられたのである。
ここは、完全な人工林なのである。

花菖蒲は内苑に水郷が設えられており、くねくねと植えられている。



森の中を縫って咲く花菖蒲は、今が見ごろである。



この週末に行かれることをお薦めしたい。
実に見事である。

三つ目は、清正の井戸である。
都内でも有数のパワースポットだと言われており、ここの所見学者が列をなしていると言われる。



都会では珍しい湧水の井戸である。
東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があり、昔から「清正井(きよまさのいど)」といわれ加藤清正が自ら掘ったとされているのである。



「清正井」のあるこの地は江戸時代、加藤家の下屋敷があり加藤清正の子・忠広が住んでいたことは間違いないようだけれど、清正本人が住んでいたかは定かではないのである。
加藤家が絶え、その後井伊家の下屋敷となったという歴史が刻まれている。

何を以ってパワースポットとするのか、それは定かでは無いけれど・・・人々が信じているのは事実である。
綺麗な湧水に引き込まれそうな気分になる。

惹きこまれてパワーがいただけるなら、それは最高である。





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 荒野人

おしゃれな20の名前

2011年06月24日 | 
アジサイには古来から個別に名詞が割り振られている。
こじゃれた名前が多いのである。



フォト・チャンネルで20の名前を紹介する。
次には更におしゃれな名前を紹介するつもりでいる。



アジサイは群舞する。
だがしかし、ソロでも十分に通用するのである。



おしゃれな名前




いかがであろうか?
雨に唄えば・・・宵の星・・・未来・・・etc etc である。



前に山アジサイの名前を紹介した。
今日のは、基本的に新作アジサイである。



バイオ技術の飛躍的発達によって、形も色も思いがけない作品が出来上がっている。
こうした個性的な呼び名は、創り上げた人の思いが籠められている。



心して呼びたいものである。
一括して「紫陽花」と呼ぶには、余りにも思いが籠っているのである。





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 荒野人

百合と鉄線

2011年06月23日 | 
実に美しいのだけれど「凛」としている。
佇(たたず)まいがそうした印象を醸し出し、ぼくたちを惹(ひ)きつけるのだ。



スレンダーな百合たちの顔を良く見る。
綻(ほころ)んでいる。



こぼれ落ちんかのように豊かでたわわな笑みである。
とても可愛いおじいちゃんが「百合たちが合唱している」と洩らした。

本当にそうだ!
とぼくも思ったのである。
ぼくも、かなり「おじいちゃん」である。


百合と鉄線




百合の植栽が見事である事は言をまたない。



このゆり園は、処々に鉄線・・・クレマチスが木を這っている。
それが百合の群生とマッチしているのである。



誰が着想したのか知らないけれど、見事なマッチングである。



百合を楽しみ、鉄線を楽しむ。
二度美味しいとはこういった事だろうか。

鉄線の向こうに百合。
百合の向こうに鉄線。

その互い違いが楽しい。

明暗も又楽しいのである。



百合には無い色彩。
それがまた妙なるハーモニーを奏でる。



夢中になって撮った一枚である。




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 荒野人



今日は夏至、ねじ花が咲いた

2011年06月22日 | 
朝から夏空が広がっている。

今日は、夏至である。
従って、ねじ花である。
花序の色が桃色であって、まるでため息が出そうなほど雑草の中で目立つのである。



昨日の午後一の空である。
篠つく雨は、午前中に上がった。

午後は蒸し暑かったけれど、吹く風は冷たかった。



何処かで、缶コーヒーを飲むバカ!
といったフレーズを聞いた気もするけれど「まあ、いっか!」と日陰のベンチで飲み干した。

雑草が陽を浴びてキラキラしている。



草の海に木陰がチラチラとして気持ちが良い。
白く咲くツメクサが点景を成す中で、ねじ花を見っけ!



花序に咲くのだが、その花の茎に巻き付くように花が咲く。
ネジのように咲くのである。

可愛らしい花である。



空を見上げたら、いつの間にか雲がモクモクと立ち上がっている。
夏の雲、入道雲である。



ねじ花は初夏の花である。
写真を撮っていたら、60代後半のお歳だろうか、ご婦人が花の名前を聞いてきた。

いつも気になっていたのだそうだ。
「ぼくは、ねじ花と言っています」と答えた。
「あら、ねじれているからなのね」と返ってきた。
ぼくは「はい」と答えて、再びファインダーを覗きこんだのであった。



夕方は、こんな雲に変わった。
今日は、夏至である。

そう・・・夏の花がその光彩を放つ季節である。




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 荒野人

百合根の天ぷらは甘かった

2011年06月21日 | 
百合根は食べるものだ。
旨い。
ホクッとしていながら滋味深く、甘さを際立たせるのが、天ぷらである。



百合根は旨いのである。
例えば茶碗蒸しなどには不可欠である。

その歯触りが料理の品格を上げるのである。



この天ぷらは、塩が一振り。
ただそれだけである。



シンプル・イズ・ベストであることは言を待たない。
この天ぷらは、所沢のゆり園の園内にある二か所の売店で食すことが出来る。

旧ユネスコ村跡地である。



そもそも論で言えば、百合根が旨いのは当然である。



だって・・・こんなに綺麗な花が咲くのだもの。



美味とは、こうした事実の積み重ねである。
百合の花・・・綺麗・・・百合の花・・・綺麗、である。



美しいものには棘がある。
それは普遍的では無いのである。

美しい百合の白い、丸い根は旨い。



このゆり園、しばらくは楽しめる。
ただし、駐車場代が普通車一台で1,200円もする。
入場代金が一人1.000円。

かなり費用が嵩(かさ)むのである。



一般道からゆり園へのアプローチの手前に、コイン駐車場がある。
そこは、60分・100円である。
もし空いていたらラッキーである。
運だめしを、お試しあれ!

ここに停めたら、百合根の天ぷらが二つ食べられるのである。
そうそう、百合根の天ぷらは一皿500円である。





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