エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

空と雲と、大きな本屋さん

2011年10月26日 | 日記
心は乱れつつ、岩手の旅を終えた。
順次レポートは届けたいのである。

被災地だけではなく、平泉も歩いてきた。
観光情報もお届けしよう!

さて・・・木枯らし一番と認定されたかどうか知らない。
東京では、いま冷たい風が吹いている。
風呂に浸かって耳を澄ますと、お隣さんの壁に這っている蔦の葉擦れの音がザワザワと聞こえてくる。

昼の夏日と打って変わって寒い夜である。



空にはちぎれ雲がプカリプカリと・・・。
そのちぎれ雲の横では、こんな雲もある。



この風を以って、完全に晩秋へと移るのだろう。



並木、これはユリの木並木である。



ぼくはやっぱり雲が大好きだ。
蜘蛛の流転には、曰く言い難い面白さがある。



雲が描くキャンバスは雄大である。
号幾らで書く画家とは違う、自由で闊達な作風が好きである。

収まりきらないところが良いのである。



梢は天を指す。
だから鋭い。
被災地に心が飛んでいく・・・。

この巨木から歩いて2分の場所に鳥の水飲み場があると聞いた。



ここである。
カメラを構えるウオッチャーが3人いた。

何が飛んでくるのかは分からない・・・のだそうだ。
自転車に機材を積んで来ているから、ご近所さんなのだろう。
ぼくは、この写真を撮るのが精いっぱい。
常連さんの目が煩いのである。

ところで、ぼくは久しぶりに池袋のJUNK堂で書籍を探した。
出版された書籍の殆どがある!と豪語するだけのことはあるのである。

因みに、売り場面積は、世界最大級の2000坪である。
各フロアーに何か所か立ち読みならぬ、座り読み出来る場所がある。



そして、4Fにはカフェがあるのである。
店内には、数人の客がいたけれど、ぼくはオープン・デッキでアイス・コーヒーをいただいた。



レジの済んでいない書籍は入口で預ける。
レジは1Fにあるから、スーパーのように籠に本を入れて店内を歩くのである。


もちろん、籠を使う必要のない人は手で持っていれば良い。
自由である。

ぼくは、この木製の座り心地良い椅子でウトウトしながらコーヒーを飲んだ。
快適であった。



このJYUNK堂のフレーズは「人と本の出会う場所」である。
都内の居心地の良い場所の一つである。






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 荒野人

みちのくの海は澄みきって

2011年10月25日 | 旅行
みちのくの海は澄みきっていて、あの巨大な津波の欠片すら見せない。
しかし、浦の街はひとたまりもなく海に呑みこまれてしまったのであった。



それゆえにこそ、海の蒼が凄まじく身体に沁み込んでくるのである。
人々は、この海に育まれた。



呑みこまれた、生きてきた証を仕切りなおして作ろうとしている。
逞しい人々である。



ぼくは、この海が憎い。
だがしかし、みちのくの人たちはこの海にもう一度自分を賭けると言う。

海を愛しているのだ。



リアス式海岸線は美しいし、景勝に満ち満ちている。
それだからこそ、津波に襲われた時にはその被害は甚大だったのだ。

海に育まれ、海に襲われた人々は犠牲者を乗り越えて生きんとする。
崇高な精神力である。



脱帽。
そして哀悼の誠を捧げるものである。


     身に沁みて海のいぶきにおののけり      野人





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 荒野人

岩手からの報告3・・・釜石の街はいま

2011年10月24日 | 日記
岩手を旅している。
釜石では、追悼の儀式が挙行された。

だがしかし、釜石の街は町並みは依然と同じだけれど人は住めず、信号機に依然として電気が来ていない交差点が多い。
いまだに、全国の警察からの応援が街をコントロールしている、と見えた。
何より、被災地では多数の警察車両が巡回している。



駅前のメイン通りである。



上の写真でも、この写真でも信号が点灯していないのがお分かり頂けると思う。
まさに、復興のイロハすら緒についていないのである。



通りに面している敷地が土台だけになっているのは、津波で破壊されたのである。



とにかく、一階は全滅である。



街中の瓦礫はいまだ放置されたままだ。



ほぼ全ての建物に、丸に×が書かれている。
住む事は出来ない!
と認定されたのだ。



時々通る車両と作業員の姿が殆どとなっている。



時折住民らしき姿が見えるけれど、例外なく自転車姿である。
仮設住宅から、自宅を見にきたのだろうか?



とにかく、これが今の釜石の姿である。
ぼくが意図的に人がいない町を撮ったのではないのである。


    焼玉の音も消え去り浦の秋       野人


淡々と捉えた釜石の姿である。




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 荒野人

吉里吉里人を語る

2011年10月23日 | 日記
井上ひさし氏の小説「吉里吉里人」について少し語ろうと思う。
実にタイミングが良いからである。



(吉里吉里人の梗概)
ある日、三文小説家の古橋は編集者・佐藤を伴い、奥州藤原氏が隠匿した黄金に詳しい人物に取材するために夜行急行列車『十和田3号』に乗車した。
ところが、一ノ関駅手前にて不思議な出来事が起きた。
列車は公用語吉里吉里語、通貨単位「イエン」を導入した人口約4200人の国家・吉里吉里国に入国。
日本政府から数々の悪政を受けた吉里吉里村の、村を挙げての独立騒動である。
古橋と佐藤はこの騒動に否応無く巻き込まれてしまう。

と言った内容である。



大槌町、吉里吉里国の海は綺麗である。
だがしかし、海は牙を剥いた。

海に育まれた人々が、海から牙を突きつけられた。
だが人々は、やはり海を愛しているのである。



瓦礫の向こうは、綺麗な海である。

いま改めて読み返してみようと思っている。

東北地方の一寒村が日本政府に愛想を尽かし、突如「吉里吉里国」を名乗り独立を宣言する。
当然日本政府は反発、これを阻止すべく策を講じるが吉里吉里側は食料やエネルギーの自給自足で足元を固め、高度な医学(当時日本で認められていなかった脳死による臓器移植を含む)や独自の金本位制、タックス・ヘイヴンといった切り札を世界各国にアピールすることで存続をはかる。
その攻防を含む1日半の出来事を、全28章にわたって描写しているのである。



井上ひさし氏の先見性に憧目するのである。
また、言語への敬意(方言の美しさへの敬意を含む)も明確である。

独立により国語となった「吉里吉里語」 (東北弁、いわゆる「ズーズー弁」)の会話をルビを駆使して表記するほか、作中『吉里吉里語四時間・吉日、日吉辞典つき』という「小冊子」に「三時間目」まで紙幅を割くなど、方言・方言論が重要な役割を占めている作品でもあるのである。



ここまで破壊され、その絶望と怒りは凄まじいと思うけれど、被災者は耐えて自己努力を尽くしている。
被災地が、吉里吉里国として独立を宣言しないと誰が確信を持てようか。

政治の無作為は極まっている。
管前総理と政権与党、及び綺麗事と党利党略の国会にしてしまった野党(とりわけ自民・公明)の無作為を弾劾し、その罪を問わなければならないではないか。

国会議員は、現地視察をしているはずだ。
それにも関らず、国会での決定が遅れに遅れている。
海外視察に行ったり、お休みを取ったり、四国へお遍路に行ったり、のんびり、かつ無為に時間を過ごしている。
こんな人たちには、税金を使ってもらいたくない。

瓦礫処理も終わっていない。
発災から7カ月を無為に過ごしてしまった。
こんな国会議員は要らないではないか。

議員が駄目なら、秘書団の視察を計画して、もっと永田町に緊張と焦燥を与えるべきである。
悲しい。
やはりこうした内容を語る事になってしまった。

文学の香りや可能性について語ろうと思っていたのに・・・。




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 荒野人

遠野物語・・・河童淵

2011年10月22日 | 旅行
遠野と言えば、民話の故郷であって豊かな自然があって、そこで人々は暮らしている。
田園風景はあくまでも、美的感覚に満ちている。



「藁塚(わらずか)」である。
晩秋の季語と歳時記に記されている。



遠野駅である。
ステーション・ホテルが駅舎と同じ棟にある。



ホテル側から見た駅舎である。



駅前の広場には河童が池で遊んでいる。
遠野と言えば、河童であるからだ。



女性の彫像である。
自分の髪の毛で陽射しを避けている。

顎(あご)の線がシャープでなかなか美人である。
モデルが偲ばれる彫像である。

さて「遠野」といえば、やはり柳田國男の「遠野物語」である。
『遠野物語』(とおのものがたり)は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した説話集。
日本民俗学の黎明を告げた名著である。



河童はキュウリで釣れるのである。
ここは、河童淵である。



トイレも面白い。

遠野物語は、岩手県遠野町(現・遠野市)出身の小説家・民話蒐集家であった佐々木喜善によって語られた遠野盆地~遠野街道に纏わる民話を、柳田が筆記・編纂し自費出版した初期の代表作である。
その内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神、そして行事など多岐に渡るのである。

そしてその代表はやはり河童である。



寺院の敷地を通ってこの川に至る。
ここで河童が目撃されたと語られる。



雰囲気のある川である。



河童淵の解説である。



句碑も建っている。
遠野は俳句の盛んな土地柄である。

河童伝説は、ロマンである。




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 荒野人