エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

福寿草

2015年02月23日 | ポエム
福寿草が満開である。
黄色のコケテッシュな花には、とてつもない癒しが潜んでいる。

新年を象徴する花でもあり、年明けから忙しい花である。
別名「元日草」である。
春本番を告げる花でもある。



福寿草は、ピシピシと植栽すれば群れて咲くのだろうけれど飛び地のように咲く。
植栽する人の感性が生きるのである。



例えばこのように・・・である。
従って、日のあたっている花もあれば日陰にある花もある。

その微妙なバランスが、癒しを与える一つの要因であるのかもしれない。







「福寿草季節の似合うきみを抱く」







とりわけ福寿草は、アップで撮ってあげたい花である。
花言葉は「永久の幸福」「思い出」「幸福を招く」「祝福」。
である。



蜜は余程甘いのであろうか?
大概、どこかの花にミツバチが取りついている。

なぜかしら、甘さが伝わってくるのだ。
それは、菜の花や向日葵の黄色とオマージュが合うからなのであろうか。

黄色は、色自体が癒し効果がある。
例えば、心身の疲れを癒す。
例えば、目の疲れを煮やす。



根には強心作用、利尿作用があり民間薬として使われることがある。
しかし、毒性(副作用)も強く素人の利用は死に至る危険な行為である。
薬理作用、毒性共にアドニンという成分によるものと考えられている。

いまでなければ見られない、癒しの色である。



        荒 野人

朽野・・・水は温む

2015年02月22日 | ポエム
19日が雨水であった。



雪が雨になる、温かさに筋がとおって来る季節である。
シガコも溶ける侯である。

川魚が蘇る。
ものみな生き返る候であるのだ。







「朽野の柔らかく踏む小径かな」







朽野では、陽射しが日毎に暖かくなってくる。
朽野・・・「くだらの」と読んで下さい。



底を貫くような、小さな川が温もってくるのである。



公園を散策していたのだが、不思議な景があった。



無患子(ムクロジ)のウロに、ムクロジの実が三個。
温まるかのように朽ち始めていた。

それだけで、充分に暖かい。




      荒 野人

ニオイスミレ

2015年02月21日 | ポエム
昨日我が家にやってきたのは、ニオイスミレ。
胸がキュンと締め付けられるような、甘い淡い匂いである。
ぼくはいま、少し鼻づまり状態だから鼻をくっつけて感じる。
従兄弟は、傍を通っただけでも匂うらしい。



西洋では、バラ、ユリ、スミレはトリオで、バラは「美(beauty)」を、ユリは「威厳(majesty)」を、スミレは「謙虚(modesty)」と「誠実(faithfulness)」をあらわすといわれ、この3つを兼ね備えたひとが理想の女性といわれます。
また、これらの花はいずれも聖母に捧げられ、多くの花々のなかで特別に扱われているのである。

我が家にきたのは、白色とすみれ色の二つである。







「マドンナや匂い菫のブーケ持つ」







可憐である。
スミレは春の季語。



宮崎京子 A.スカルラッティ作曲 すみれ



パヴァロッテイでも聴いてみましょう。




このA.スカルラッティ作曲「すみれ」は、ぼくも歌った。
巻舌を上手に使いこなして歌う。
懐かしい歌曲である。

ニオイスミレには、希望がその小さな花に詰まっている。
そうとしか思えない。



花言葉は「高尚」「秘密の愛」「奥ゆかしい」「控えた美しさ」である。

ニオイスミレの香気は、ヨーロッパでは古くから化粧品、ハーブティーやワインなどの飲み物、シロップ、お菓子など、さまざまなものにも使われて来た歴史がある。
ヴァイオレット・リキュールの香りはニオイスミレを用いるものと特筆され、他のスミレからはその独特の香りを出すことは出来ないとされるのである。



そして白無垢の、侵し難さよ!
ニオイスミレは、当分楽しめそうである。

そこで、ギリシャ神話から・・・。

「あるところにイアという美しい娘がいました。
 太陽神アポロンが彼女に一目ぼれをしますが、イアには婚約者がいたため、アポロンの愛を受け入れようとしません。
 それに怒ったアポロンがイアをスミレに変えてしまったのでした。」




       荒 野人

節分草

2015年02月20日 | ポエム
節分の頃に咲くと云う。
だから「節分草」である。

現実には、1月下旬から咲き始めるのである。
従って、そろそろ花の終わりである。



花は極めて小さい。
白、紫、黒、黄で構成される花は、思わず抱きしめたくなる。



けれども、抱きしめると折れてしまいそうで・・・そっとカメラに収めるのが精一杯であった。






「光満ち小ささのあまり節分草」







少しピンぼけだけれど、焦点がなかなか合わないくらい小さいのである。
花の形は「ゲンノショウコ」に良く似ている。
けれど、ゲンノショウコの花の半分以下の小ささである。

昨日は、温かかった。



雪吊りが不似合いなほど、温かかった、



一朶の雲が、温かい空で遊弋していた。
嗚呼、雲になりたい・・・。
雲になって、どこか南の島に行ってしまいたい。

現世の憂さを捨てきれる場所、が良い。
グルリと全体が分からないこと、が理想だ。



あっ、そうそう節分草は後ろから見てもシャンなんだよ!



      荒 野人

三椏(みつまた)

2015年02月19日 | ポエム
三椏は、お札に入っている材料となる。
三椏の樹皮が、である。

三椏は、木の枝分かれの部位が冷害無く三つに別れる事から「ミツマタ」と言われるのである。
花が可愛いから、と云うのでいまでは里で目にする。
観用植物になっているのだ。



けれど、本来は山の上や斜面で良く育つ植物である。
寒暖の差が大きいほど、三椏の樹皮は商品価値が上がる。
良く締まった、肌理細かな樹皮が良い和紙を担保する。







「三椏の伸びのびとする枝分かれ」







皮を剥かれた枝は、生け花の素材となる。
その白さと枝分かれが、造形美を演出するのである。

ぼくたちは、和紙と云うと楮(こうぞ)を連想する。
その樹皮の繊維が、和紙らしさを醸し出すからである。

三椏は、樹皮の繊維は見えない。
つるつるとした紙質の感じを与える。
繊維が見えない分、紙としては強いのだ。

日本のお札に、三椏が入っているのは本当だけれど、含有量としては微小である。
現在の技術で、三椏が殆ど入っていなくても充分に和紙の風合いを出せるのである。

余談だけれど「模造紙」は、何の模造でしょうか?
お札を作っている、かつては印刷局だった局の紙の「模造紙」なのである。




      荒 野人