先日、年齢がひと回りも上のテレビ業界の先輩と話す機会があった。年齢にして64歳、テレビの成長期、一番よい時代を経験したといわれる世代である。その先輩が言う。「われわれの現役のときはテレビ局は時代の寵児(ちょうじ)といわれた。しかし、いまは『テレビ局という会社もある』といった普通の存在になったね」
米紙ダウンサイジングの衝撃
確かに、アナウンサー職を除けば、テレビ局に応募者が殺到するという現象は見られなくなったという話を最近、ある局の人事担当者から聞いた。これは何もテレビ局に限った話ではない。春の選考で予定していた人数を採りきれず、秋にも引き続き採用活動を行う新聞社などマスコミ企業が増えている。マスメディアのダウンサイジング現象である。
読んで字の如く「縮小する」動きも現れてきた。アメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズが紙面の幅を2008年4月から3.8㌢縮小すると発表したニュースだ(7月18日)。紙面の縮小により、記事スペースは11%減るが、増ページも行って減少を5%に抑えるという。紙面サイズの縮小とともに、印刷工場も統合する。アメリカを代表する大手紙の紙面のリストラだけに、そのインパクトは内外の新聞業界に他人事ではない衝撃を与えたはずである。
この紙面縮小の背景には、新聞部数の減少がある。アメリカでは新聞発行部数が去年、全米で5300万部だった。これはピークだった1984年に比べ15%も落ちている。その原因はといえば、インターネットの普及による購読者数や広告収入の減少に尽きる。もう少し詳しく説明すると、新聞のビジネスモデルがインターネット企業によって侵食されているからである。情報を掲載して読む人の数の多さに比例して広告単価を上げるというネット広告の手法は、新聞の発行部数で広告単価を決めてきた従来の手法と重なる。こうして経営基盤が揺らぎ、傘下に32紙を持つ全米第2位の新聞グループ「ナイトリッダー」が身売りするという事態も起きた。
日本の新聞業界は宅配制度によって部数(5252万部・05年10月の日本新聞協会調べ)を維持しているものの、それでもピークだった1999年(5375万部)に比べ減少傾向にある。また、日本の新聞社は株式を公開していないので、アメリカのように株主がその経営実態に不安を抱いて経営改善を要求するといった実態が表に現れない。表面化した時は、倒産か身売りというせっぱ詰まった状態になってからだろう。
テレビのビジネスモデルもネット企業によって侵食されつつある。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)はユーザーが好きな時にネットを通じて番組が無料で視聴できるビデオオンデマンド方式を採用している。収益はサイトの広告収入がメインである。そのギャオの視聴登録者がすでに1000万人に達した。映画やアニメなど常時1500番組をそろえ、サービスを開始したのは去年4月である。すさまじい勢いで登録者を増やしたことになる。まだ黒字化はしていないものの、登録する際に入力する属性情報で、性別や年齢に応じた効果的な広告配信を試みている。また、7月からは地域・県別の広告配信も行っている。こうした小回りの効いた広告対応は既存の民放テレビ局ではできない。
ネット企業が情報メディアを目指して台頭すれば、それだけ既存のマスメディアの存在感が薄れる。そんな構造なのである。それはかつて圧倒的な存在感を誇っていた新聞メディアが高度成長期に乗って台頭してきた放送メディアによって影が薄くなったプロセスと重なる。
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