自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登の地震と津波

2007年03月25日 | ⇒トピック往来

 30年ほども前に読んだ小松左京のSF小説「日本沈没」では、ユーラシアプレートに乗っている能登半島など日本列島は太平洋プレートに押され沈没するが、最後に沈むのが能登半島という設定だったと記憶している。そんな印象から、能登は地震の少ない地域だと、思っていた。ところが、今回は2004年10月23日の新潟県中越地震(震度7)に次ぐ、震度6強である。新潟では59人が死亡、4800人以上が負傷し、新幹線が脱線した。今回の能登でも庭で倒れた灯篭の下敷きになって52歳の女性1人が亡くなっている。

  能登では1993年2月7日にも震度5の地震があった。22時27分、能登半島北方沖を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生。輪島で震度5、金沢震度4を観測した。輪島での震度5は観測史上初めて、金沢の震度4は1948年の福井地震以来であった。震源地に近い珠洲市では場所によって震度6に達していた可能性があり、被害は同市を中心に発生した。裏山の崩土による神社の本殿・拝殿の倒壊のほか、住宅の損壊22棟、木ノ浦トンネルの崩落など道路被害141ヵ所、陥没した道路へ車が突っ込んで運転者がケガをしたのをはじめ屋内で29人が転倒物や落下物によって負傷したが死者はなかった。(「能登半島沖地震被害状況調査報告」=1993年2月11日調査・金沢大学理学部 河野芳輝・石渡明=より)

 このほか、私自身、津波を体験している。忘れもしない1983年5月26日正午ごろ、秋田沖が震源の日本海中部沖地震が起きた。確か、輪島では震度そのもは3だったが、猛烈な津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくるのである。ご覧の写真は当時の新聞記事(北國新聞)だ。当時、私は輪島で新聞記者の支局員だった。輪島港が湾内に大きな渦が出来て、写真のように漁船同士が衝突し、沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているアングル。この写真は新聞の一面で掲載された。現場に近づいて、数回シャッターを切って、すぐ逃げた。大波が間近に見えていたからである。

⇒25日(日)午後・金沢の天気  くもり

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☆能登地震ショック

2007年03月25日 | ⇒トピック往来

 きょう25日9時42分の揺れは相当だった。震源は能登半島の輪島沖だが、金沢市内にある自宅(木造2階)でも相当の揺れを感じた。家全体が持ち上がるような、そんな揺れである。その時、私は横になっていたので特にそう感じたのかもしれない。この揺れで、我が家のホームエレベーターが止まった。私の実家(能登町)には電話がつながらない状態になっている。

 11時05分現在、私の実家(能登町)には電話、携帯電話ともにがつながらない。12時05分に金沢大学「能登半島 里山里海自然学校」の赤石大輔・常駐研究員とは携帯電話でつながった。「揺れは大きかったものの落下したり、家屋の損壊はない」という。いまから自然学校の方を見に行くということだった。

震度は石川県の七尾市、輪島市、穴水町で震度6強、志賀町や能登町などで震度6弱、珠洲市で震度5強を観測した。マグニチュードは7.1だった。石川県で震度5以上の地震を観測したのは、2000年6月の石川県西方沖地震(震度5弱、M6.2)以来。

 12時25分現在。輪島で52歳の女性1人が死亡、40人が病院に運ばれている、というニュースが流れている。NHKのテレビ画像では、市内の重蔵(じゅうぞう)神社の鳥居(石柱)が倒壊していた。また、珠洲市と輪島市の境にある「垂水(たるみ)の滝」周辺では山の中腹部から道路に落石があった。巨石のようだった。道路も陥没している。復旧にも時間がかかる。これから春の観光シーズン、観光産業に与える影響は甚大だろう。

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