4月29日に能登半島地震の被災地、輪島市門前町を訪れた。被災家屋の軒下でツバメが巣づくりをしていた。帰巣本能で飛来したツバメは家屋の様相が一変しているのに戸惑ったに違いない。ツバメは3月25日の能登の震災を知らない。季節は移ろっているのだ。
門前を訪れたのは、金沢大学の震災に関する学術調査で、私の研究テーマ「震災とメディア」の被災者アンケートがその目的だった。当日は日曜日ということもあって、調査に訪ねた諸岡公民館(避難所)では見舞い客が大勢訪れていた。被災者の世話をしている災害ボランティアのコーディネーター、岡本紀雄さん(52)から「あす(30日)から仮設住宅への引越しが始まるので、みんな(被災者)はその準備で忙しい。アンケートも手短に」とアドバイスを受けた。
岡本さんは以前、「自在コラム」で紹介したように、阪神淡路大震災(震度7)と能登半島地震(震度6強)を体験し、自ら「13.5の人」と称している。新潟県中越地震(2004年10月)で被災地の支援活動をした経験を生かし、今回も震災当日(3月25日)から避難所やボランティアセンターで活動を続けた。途中、過労でドクターストップがかかり、兵庫県宝塚市の自宅で数日静養し、また能登に戻ってきた。岡本さんにとっては、被災者が仮設住宅に移るというのは、これまでの活動の一つの区切りになるはず。
その岡本さんから5月1日にメールが届いた。ひと区切りをつけたボランティア活動家の心情吐露とでも言おうか、被災地で汗まみれになった人間の生き様が見えて、すがすがしい。能登出身者の一人として、「お疲れさま」と感謝したい。岡本さんの許可を得て、その文面を紹介する。
◇
みなさんへ
ごぶさたしています 2週間ほったらかしでしたね 私の体調は大丈夫です 血圧は132/80と正常に戻っています でも頭はダメです 地震関係以外のことはまだ長時間考えられません 何を考えていてもそっちに戻ってしまいます
昨日 諸岡公民館避難所は終わりました 避難所から公民館に戻りました 夕方6時に前を通るとカーテンが閉まり、消し忘れのトイレの電気だけがさびしそうに灯っているだけでした 最後までいた約40名は最後の朝食を食べて朝の6:30過ぎには挨拶をして順番に出て行かれました ほとんどが仮設住宅に移られました
多くの皆さんに感謝です 「ありがとネ」です こんな私を受け入れてくれた道下・諸岡の方々、こんな私を助けてくれたボランティアの方々、こんな私を取り上げてくれたマスコミの皆様、私の呼びかけに応えて各集落宛に義援金を送ってくれた方々 こんな私を許してくれた妻と子どもたち・親戚、そして能登を応援して頂いている皆様 本当にありがとうございます
でもこれからです 住宅問題です 地域再生です 仮設は終の住家ではありません 2年限定です 昨日も能登や金沢の有志とそのことの打合せもしました 自力建て替え・公共住宅・老人住宅・ケアハウス・グループハウス/町並み保全・子どもたちからの「こっちへ来んかえ」の声・出て行く人出て行けない人・限界集落・お仕事などなど 今までは言葉だけの世界だったものがドット目の前に一気に迫ってきています これからは皆さんの知恵のボランティアをお願いしなければなりません
今日から仕事 ソフトボールの子どもたちを預かります その後宝塚に戻り東京へも行きます 決算もしなければなりません 補助事業の報告書作成も でも…
門前は非日常から日常へ 田植えも始まっています 観光客も帰ってきています マスコミは帰りました 私もいつまでも非日常でいられません 働きます
今日も長い駄文付き合っていただき「ありがとネ」
のと 岡本 紀雄
⇒3日(木)午前・金沢の天気 はれ
門前を訪れたのは、金沢大学の震災に関する学術調査で、私の研究テーマ「震災とメディア」の被災者アンケートがその目的だった。当日は日曜日ということもあって、調査に訪ねた諸岡公民館(避難所)では見舞い客が大勢訪れていた。被災者の世話をしている災害ボランティアのコーディネーター、岡本紀雄さん(52)から「あす(30日)から仮設住宅への引越しが始まるので、みんな(被災者)はその準備で忙しい。アンケートも手短に」とアドバイスを受けた。
岡本さんは以前、「自在コラム」で紹介したように、阪神淡路大震災(震度7)と能登半島地震(震度6強)を体験し、自ら「13.5の人」と称している。新潟県中越地震(2004年10月)で被災地の支援活動をした経験を生かし、今回も震災当日(3月25日)から避難所やボランティアセンターで活動を続けた。途中、過労でドクターストップがかかり、兵庫県宝塚市の自宅で数日静養し、また能登に戻ってきた。岡本さんにとっては、被災者が仮設住宅に移るというのは、これまでの活動の一つの区切りになるはず。
その岡本さんから5月1日にメールが届いた。ひと区切りをつけたボランティア活動家の心情吐露とでも言おうか、被災地で汗まみれになった人間の生き様が見えて、すがすがしい。能登出身者の一人として、「お疲れさま」と感謝したい。岡本さんの許可を得て、その文面を紹介する。
◇
みなさんへ
ごぶさたしています 2週間ほったらかしでしたね 私の体調は大丈夫です 血圧は132/80と正常に戻っています でも頭はダメです 地震関係以外のことはまだ長時間考えられません 何を考えていてもそっちに戻ってしまいます
昨日 諸岡公民館避難所は終わりました 避難所から公民館に戻りました 夕方6時に前を通るとカーテンが閉まり、消し忘れのトイレの電気だけがさびしそうに灯っているだけでした 最後までいた約40名は最後の朝食を食べて朝の6:30過ぎには挨拶をして順番に出て行かれました ほとんどが仮設住宅に移られました
多くの皆さんに感謝です 「ありがとネ」です こんな私を受け入れてくれた道下・諸岡の方々、こんな私を助けてくれたボランティアの方々、こんな私を取り上げてくれたマスコミの皆様、私の呼びかけに応えて各集落宛に義援金を送ってくれた方々 こんな私を許してくれた妻と子どもたち・親戚、そして能登を応援して頂いている皆様 本当にありがとうございます
でもこれからです 住宅問題です 地域再生です 仮設は終の住家ではありません 2年限定です 昨日も能登や金沢の有志とそのことの打合せもしました 自力建て替え・公共住宅・老人住宅・ケアハウス・グループハウス/町並み保全・子どもたちからの「こっちへ来んかえ」の声・出て行く人出て行けない人・限界集落・お仕事などなど 今までは言葉だけの世界だったものがドット目の前に一気に迫ってきています これからは皆さんの知恵のボランティアをお願いしなければなりません
今日から仕事 ソフトボールの子どもたちを預かります その後宝塚に戻り東京へも行きます 決算もしなければなりません 補助事業の報告書作成も でも…
門前は非日常から日常へ 田植えも始まっています 観光客も帰ってきています マスコミは帰りました 私もいつまでも非日常でいられません 働きます
今日も長い駄文付き合っていただき「ありがとネ」
のと 岡本 紀雄
⇒3日(木)午前・金沢の天気 はれ