自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆値千金の「ナンセンス」

2007年05月12日 | ⇒ドキュメント回廊

 もう36年もたつのに、その時の記憶はいまも鮮明だ。生まれて初めて浴びた報道カメラのフラッシュ。いまにして思えば、あのフラッシュの感激がその後の私自身の進路を大きく左右したのかもしれない。

  能登で生まれ、金沢で高校時代を過ごした。2年生の冬、クラブはESSに所属していて、県英語弁論大会に出場する幸運に恵まれた。高校は同大会で4連勝を果たしていて、5度目の栄誉がかかっていた。このため、前年度優勝者の先輩からイントネーションや発音の厳しいチェックを受けたことを覚えている。また、当時貴重だったテープレコーダーをESSの仲間から借りて、下宿で練習したものだ。

  私が選んだスピーチのテーマは「学生運動について」だった。入学した年には大阪万博が華やかに開催され、南沙織の「17才」がヒット曲となっていた。世の中が芳しくカラフルに彩られた時代の始まりでもあった。その一方で、赤軍派による「よど号」のハイジャック事件があり、連合赤軍による浅間山荘事件もその後に起きた。金沢大学でも学生運動が盛んで、新聞紙面をにぎわせていた。そんな闘争の時代の残影に私は違和感や憤りを感じていた。

  英語弁論大会でのスピーチはその気持ちをストレートに表現したものだった。金沢市本多町の県社会教育センター分館で開かれた第7回石川県英語弁論大会は大学の部もあり、金大生も多く客席にいた。私のスピーチが余りにもストレートな表現だったせいか、大学生数人から「ナンセンス」と大声のヤジが飛び、会場は一時騒然となった。

  高校の部では、私を含め4人が参加した。審査委員の講評はいまでもよく覚えている。「これだけ会場をにぎわせた高校生のスピーチはこれまでなかった」と。自分自身それほど英語の発音が上手ではないと分かっていた。詰まるところ、大学生からヤジを浴びせられた分、ほかの3人より目立ったことがどうやら優勝の理由だった。この講評のあと、冒頭に記した新聞社の写真撮影となる。その後、後輩たちも優勝を重ねた。が、その後次第に弁論大会から英語劇へと表現方法がシフトしていった。

  私はと言うと、スピーチコンテストでの優勝経験が忘れられず、東京の大学では日本語の弁論部に入った。そこで、調査と統計、そして憲法の精神に裏打ちされた弁論の手法を徹底的にたたき込まれた。マスコミをこころざし、Uターンして地元の新聞社に入社、その後、テレビ局へとマスメディアの世界を渡り歩いた。こうして振り返ると、あの英語弁論大会が私の人生を方向づけたのだと思う。

  後日談がある。新聞社時代によき先輩に恵まれ、居酒屋に誘われた。先輩はかつて学生運動でならした人だったと別の先輩から聞いていた。その彼が「君は○○高校の出身か。そう言えば、5年か6年前に英語で学生運動を批判した生意気そうなヤツがいたぞ」と言う。私はピンときて「それは私です」と告白した。その時の先輩のびっくりした様子は今でも思い出す。話のつじつまから、ヤジを飛ばした一人がどうやら先輩だということが分かった。彼はその後退社、音信はない。ただ、優勝に導いてくれたあの「ナンセンス」のヤジに私は今でも感謝している。

 ⇒12日(土)夜・金沢の天気   くもり

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