1月17日は東京へ日帰り出張だった。先日から大雪となり、風も風も強かったので、早朝JR金沢駅から「はくたか1号」に乗った。乗り換え駅の越後湯沢付近は1㍍を超える積雪で、屋根雪を下ろす人々の姿が車窓から見えた。上越新幹線で長野を過ぎると、とたんに顔空になった。目的地の市ヶ谷では駅のプラットホームから釣り堀が見え、のんびりと釣り糸を垂れる人々の姿があった。越後湯沢で見た屋根雪下ろしの光景と余りにも対照的だった。人は生まれた環境に育まれる。粘り強く、持続性がある北陸の人の行動パターンは案外、雪が育んでいるのかもしれない。
越後湯沢の空とスカイツリーの空
東京の空をにぎわせているスカイツリー。正式には「東京スカイツリー」。高さ634㍍の世界一の電波塔を目指している。ことし12月に完成、来年春に開業を予定している。NHKと在京民放5局が利用する。総事業費は650億円。このツリーを下から眺めると、いろいろなことを思う。その一つが、「電波は空から降ってくる」という発想は、東京のものだ、と。東京タワー(333㍍)しかり、東京にいるとシャワーを浴びるように、電波が空から降ってくる。もちろん一部にビル陰による電波障害があり、そのビル陰の障害を極力減らすために600㍍級のタワーが構想された。まるで「恐竜進化論」だ。電波塔(東京タワー)が立つ。周囲に200㍍を超える超高層ビルが林立するようになる。すると今度は、さらに高い電波塔(スカイツリー)を立てなければならないと、どんどんと図体が大きくなってきた。「電波を空から降らせる」ために、限りなく巨大化し続けているのだ。
翻って、日本海の能登半島の先端。山陰で電波が弱い、届かない。あるいは、電波は届くが強風と塩害のため屋根に上げたアンテナは常にリスクにさらされる。このため、集落ごとにしっかりとしたアンテナを共同で立て、そこから有線で各家庭にテレビ線を引き込むというやり方をとってきた。これを「共聴施設」、あるいは「共聴アンテナ」という。テレビを視聴するのに住民が共聴施設を維持管理費を負担をする。簡易水道の維持費を払っているのと同じ感覚だ。同じ日に屋根雪を下ろしている地域があり、片や青空の下で釣り糸を垂れている地域がある。同じように「電波が空から降ってくる」地域と、「電波を金を払って取り込む」地域がある。不公平だと言っているのはない。電波は家庭に多様な届き方をしている、と言いたいのだ。
ただ、スカイツリーは電波を空から降らせるためものだけではない。道路や橋、病院、公園などといった経済や生活環境のベースとなるインフラストラクチャー(略して「インフラ」)のモデル的な要素が強い。東京タワーのように、一つのシンボルとして何百万人の訪れる施設を目指している。その意味では公(おおやけ)の、パブリックな建物になる。イギリスの元首相チャーチルの有名な言葉に、「われわれは建物をつくるが、その後は、建物がわれわれをカタチづくる」と。いまは「東京のスカイツリー」だが、十年も経てば「スカイツリーの東京」となるのではないか。ただ、そのときの人々のメンタリーはどうカタチづくられているのかと気になる。
⇒18日(火)朝・金沢の天気 くもり