自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆地デジ、アメリカ流~下

2011年01月08日 | ⇒メディア時評
 では、ミラー・ジェームス氏はアウトリーチでどのような活動をしたのだろうか。自身が地元のテレビ局に出演して、地デジをPRしたり、家電量販店に出向いて、コンバーターの在庫は何個あるのかを確認した。また、ボーイスカウトや工業高校の生徒や大学生が高齢者世帯で、UHFアンテナを設置するボランティアをしたり、NG0や電機メーカーの社員がコンバーターの取り付けや説明に行ったりと、行政ではカバーしきれないことを地域の住民や団体が連携してサポートした。そうした行政以外の支援を活用するコーディネーションをミラー氏は現地で行った。

       日本のテレビ局はもっと地域に入り普及活動を

 法律家であるミラー氏は、「日本の場合はテレビを受信することは権利」とらえられているが、アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方になる」と話す。隣地にビルが建って電波が受信できなければ、日本では民法上で権利として主張できる。アメリカの場合は、コモン・ロー(判例法)をルーツとしており、権利的な保護はなく、あくまでも受信者の責任と負担で、となる。これを地デジの現場に当てはめれば、アメリカでは困っている人を助けるという発想でボランティア活動が活発だった。一方日本では、政府による「新たな難視」を出さないためのあらゆる手が打たれ、自治体も手を差し伸べているが、アメリカのような地域のNPOや民間団体による支援の動きは目立っていない。日本では、「地デジは国が責任を持って行うもの」との雰囲気が強いからだ。

 そうした日米の意識や文化の違いのツボを押さえると、アメリカと日本の地デジの課題と現状がよく見えてくる。2009年6月12日に地デジ移行を終えたアメリカでは、地デジ未対応の世帯は貧困層を中心にまだある。クーポン配布プログラムは7月末で受け付けを終えた。下院からは、アンテナ救済とクーポン延長の法案が出されたが、廃案に終わった。この時点で申し込みがないとすれば、後は「受信するかしないかは個人の自由」との解釈になる。では、テレビが完全に視聴できなくなったのかというとそうではない。デジタル化の対象外である、宗教団体や自治体、学校などが運営するLPTV(低出力のコミュニティー局)が地域にある。こうしたローカルな番組はアナログのテレビで視聴ができるのだ。

 最後にミラー氏は、1年後に地デジ移行する日本へのアドバイスとして次のことを挙げた。「地デジ移行は官製のキャンペーンだけではなく、例えば大学に働きかけて、お年寄り宅の地デジ化をサポートする学生ボランティアの輪を広げるなど、もっと民間のチカラを活用すべきだ」と。また、テレビ局に対しては、「地デジはテレビの魅力やパワーを訴えるよいチャンスととらえて、テレビ局の人たち自身がもっと地域に入ってキャンペーンを繰り広げてはどうか」と提案し、講演を締めくくった。日本の地デジ移行では、行政と視聴者の中間で動く地域団体やNPO、ボランティアの存在が成否のカギとなるに違いない。

※写真はポートランドの学生による手作りのアンテナ。学生ボランティアとして高齢者宅などに設置した(ミラー氏提供)

⇒8日(土)朝・金沢の天気  はれ
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