自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★地デジ、アメリカ流~上

2011年01月07日 | ⇒メディア時評
 アメリカは日本よりひと足早く2009年6月12日に地上デジタル放送(DTV)への移行を終えた。アメリカの地デジ移行はさほど混乱はなかったというのが定評となっているが、果たしてそうだったのか。ことし7月24日に地デジ移行を控える日本の現状を見るについそんなことを考えてしまう。アメリカのどのようなパワーがあって地デジ移行を終えることができたのか。友人でもあるアメリカ連邦通信委員会(FCC)工学技術部の法律顧間であるミラー・ジェームス弁護士を昨年7月、金沢大学に招きセミナーを開催した。そのときの講義メモを紹介する。

       地域の中に入り支援するアウトリーチという考え

  ミラー氏を講師に招いた理由が2つある。1つ目は、FCCのスタッフとして、アメリカの西海岸(オレゴン州ポートランドなど)に出向き、地デジの広報活動や視聴者対応の現場にかかわってきたこと。2つ目は、 マンスフィールドフェローシップ・プログラム(連邦政府職員の日本研修)の一員として、2004年から2006年の足掛け3年、 総務省(総合通信基盤局電波部)や経済産業省、知的財産高等裁判所などで知見を広め、日本の電波行政やコンテンツ政策にも明るいこと。ちなみに、私はミラー氏の金沢でのプログラム(2005年)で知己を得た。

 1996年のアメリカの通信法の改正で「アナログ停波、デジタルヘの移行義務」が定められた。その目的は、日本と同様に電波割り当ての再編だった。例えば、FCCは放送に割り当てていたUHF帯域を縮小し、24MHz帯幅のチャンネルを警察など公安利用に割り当てる一方で、固定通信や移動通信、放送などに開放し、競売で免許交付を行った。当初、アメリカは地デジ移行に楽観的だった。何しろアンテナ受信が日本に比べ少ない。アメリカの場合、85%の家庭はケーブルテレビなどで視聴しており(2009年統計)、 アンテナで見るのは15%だったからだ。逆に、日本の場合は76%がアンテナでの視聴となる(2009年統計)。これを人口で換算すると、 日本(人口1億2700万人)のうち約9600万人、アメリカ(同3億900万人)は約4600万人がアンテナで視聴していることになる。このため、アメリカでは移行の時期について、当初「視聴世帯の80%Jがデジタル対応の準備を終えていることを目安にし、段階的に2006年までにアナログを停波するとしていた。ところが、2005年の調査で視聴世帯のわずか3.3%しか地デジの準備がされておらず、2006年の法改正では「2009年2月17日」をハードデートとして無条件に地デジヘ移行する日と決めた。

 2008年元旦から、アメリカ商務省電気通信情報局(NTIA)がデジタルからアナログヘの専用コンバーター購入用クーポン券の申請受け付けを始めた。アメリカ政府は40ドルのクーポンを1世帯2枚まで補助することにした。2009年に入り、クーポン配布プログラムの予算が上限に達してしまい、230万世帯(410万枚分)のクーポン申請者が待機リストに残されるという事態が起きた。オバマ大統領(当時は政権移行チーム)は連邦議会に対して、DTV移行完了期日の延期案を可決するように要請した。同時にDTV移行完了によって空くことになる周波数オークションの落札者だったAT&Tとベライゾンの同意を得て、4ヵ月間延期して「6月12日」とする法案が審議、可決された。FCCの定めた手続きでは、「2月17日」の期限を待たずにアナログ放送を打ち切ることができるため、この時点ですでにアメリカの1759の放送局(フル出力局)の36%にあたる641局がアナログ放送を停止していた。

 オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCこも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれるもので、アウトリーチとは援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだった。

※写真は、ポートランドで地デジの説明会を開くミラー氏。高齢者や貧困層への対応が課題だった(同氏提供)

⇒7日(金)朝・能登の天気  はれ
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