能登半島はにその地形からいろいろな伝説がある。『妖怪・神様に出会える異界(ところ)』(水木しげる著・PHP研究所)にも掲載されている「猿鬼伝説」はその一例だ。能登羽咋(はくい)の気多大社の祭神、気多大明神を将軍として、能登の神々が協力し猿鬼(さるおに)の一軍を退治する物語だ。この猿鬼には矢が当たらない。その理由として、猿鬼が自分の体毛に漆を塗りつけていて、矢を跳ね返す。そこで、矢に毒を塗り、漆を塗っていない猿鬼の目を狙う。毒矢を携え、神々は猿鬼の住む奥能登の岩井戸へ出陣するという話だ。伝説からは、大陸と向き合う能登半島に入ってきた「毛むくじゃら」の異民族との戦いをほうふつさせる。 さらに、能登にはUFO伝説がある。羽咋市に伝わる昔話の中にある「そうちぼん伝説」がそれ。そうちぼんとは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説は、そうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたというのだ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説も残っているという。同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が登場する(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。
作家の田口ランディさんはこのUFO伝説に満ちた羽咋に滞在して、小説『マアジナル』(角川書店)=写真=を書き上げた。マアジナルは、「marginal 【形容詞】 辺境の、周辺部の、縁にある、末端の、ぎりぎりの。二つの社会・文化に属するが、どちらにも十分には同化していない、境界的な」という意味を持つ(『リーダーズ英和辞典』)。物語は、「こっくりさん」が流行した1980年代、UFOを目たという少年が中心になって少年少女6人がある日、手を取り合って輪を作り、夏の夜空にUFOが現るのを祈った。その直後、そのうちの1人の女子生徒が消息不明となる。この夜をきっかけに、彼らの運命の歯車は少しずつ狂い始める。UFOや宇宙人を内容とする雑誌「マアジナル」編集部にたまたま入った羽咋出身の編集者がこの運命の糸をたぐり始める。すると、残りの5人の人生が再び交錯し始める…。小説の400ページは出張中の新幹線、飛行機の中で読んだのである意味「臨場感」を持って読めた。
この物語で意外な実在の人物が登場する。アメリカの天文学者パーシバル・ローエルだ。ローエルは冥王星の存在を予測したことで天文学史上で名前を残したが、ほかにも火星に運河が張り巡らされていると主張し、火星人説も打ち立て論争を起こした。アメリカ人を宇宙開発に傾斜させるきっかけをつくった一人でもある。明治時代、そのローエルが東京滞在中に地図を眺めていて、日本海沿岸に突き出た能登半島の形に関心を抱き、そしてNOTOの語感に揺さぶられて、1889年5月に能登を訪れた。後にローエルは随筆本『NOTO: An Unexplored Corner of Japan』(NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境)を1891年に出版する。能登を英文で世界に紹介した初めての人物だ。そして、そのころに能登を辺境=マアジナルと感じた最初の人なのだ。
小説の中で、6人の少年少女の中で精神科医になった男性が交通事故に遭い、幽体離脱してローエルと対面し問答する下りがある。ローエルは「人間とは、ここがあれば、ここ以外の何かが存在すると考える存在なのです」と述べる。デカルトの「我思うゆえに我あり」を引き合いに出して語るシーンである。そして男性は望遠鏡を覗き込みながら、「あの雲がUFOの出入り口なのですか」と尋ねる。でも、ローエルは「さて、どうでしょうかね。私はそれを見たことがないのでわかりません」と肩をすくめて淋しそうに笑う。この小説は、UFOが見えるか見えないか、我思うゆえに我あり、哲学書にも似た大いなる問答集なのである。
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