地球上の水の97.5%は海などの塩水が占める。それが、太陽エネルギーによって塩分を含まない水蒸気となって蒸発し、水蒸気は上空で凝結して雲となり、やがて雨や雪となって降り注ぐ。そのほぼ90%は直接海上に降るが、残りは地上に降りる。地上に落下した水の65%は蒸発して大気中に戻りるが、一部は地表面を流れて河川に注ぎ、あるいは地中に浸透して地下水となり、地中を流れて河川や湖沼に行く。動植物はその水を吸収し生命を維持するが、やがて生命が尽きると水分は蒸発し、また海に戻る。
46億年以前に地球が誕生して以来、水は循環しているのだ。「したがって、数億年前に恐竜の血液であった水分が現在の河川の水流になったり、昨夜の夕食のスープの材料になっていることも十分にありえます」と筆者、月尾嘉男氏は考えた。おそらく趣味のカヤックをこぎながら海を眺め、そう発想したに違いない。著書『水の話』(遊行社)は水にまつわる時空を超えた壮大な話である。
今月16日、石川県小松市で月尾氏の講演があった=写真・下=。演題は「21世紀の水問題と環境共生」。バーチャル・ウォーター(virtual water、仮想淡水)の問題に興味があったので、月尾氏の考えを聞くことができるかもしれないと期待し、ついでにその場で著書も購入した。バーチャル・ウォーターは、農産物や畜産物の生産に要した淡水の量を、その輸出入に伴って売買されていると仮定したもの。たとえば、小麦1㌧を輸入する場合はそれを育てるのに要した2000㌧もの水、牛肉1㌧の場合は2万㌧近い水がそのバックヤードには使われている。日本が輸入している農産・畜産物の主な8品目(コメ、大麦、小麦、トウモロコシ、大豆、牛肉、豚肉、鶏肉)だけでも年間860億㌧の水を輸入している計算になる。これは国内で使用している淡水の840億㌧とほぼ同量と、筆者は指摘する。 冒頭で述べたように、もともと淡水という資源は限られ、人口が増えるにつれ、源流から河口までに複数の国を流れる「国際河川」では紛争が起きやすい。インドシナ半島を流れる大河メコンは、中国南部のチベット高原を源流とし、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを通過する。中国が最近巨大なダムの建設を開始している、という。中国側は水力発電をするだけで、水はそのまま下流に放水するとから影響はないと言っているが、「下流の国々は疑心暗鬼です」(筆者)と。
紛争とは別の水をめぐる問題が世界で起きている。「淡水は権利か、商品か」という問題。権利であるならば、自治体や国が責任を持って国民に供給する義務がある。ところが、流れは商品化になっている。日本の家庭でも、水道水ではなくミネラルウォーターを飲むようになった。500㍉㍑のペットボトルが年間で50億本も売れている。1人40本の計算だ。ところが、イタリアは日本の9倍、フランスは6倍、アメリカは5倍、イギリスは2倍も消費している。その背景には、欧米では「ウォーター・バロン(淡水男爵)」と揶揄される巨大企業が淡水を牛耳っている。世界のミネラルウォーターの市場の31%をフランスのヴィヴェンディが、2位もフランスのオンデオが30%、3位ドイツのRWE16%と寡占状態になっている。民間企業による水道事業の比率もイギリス90%、フランス75%など。ともすれば値上げにさらされやすい。さらに、最近は「ウォーター・ハンター」と呼ばれる、新たな水源を発見して取水、利水の権利を購入する新手のビジネスが横行している。
月尾氏の水の話は淡水、真水にとどまらずに、運河や海水、海底に眠るメタンハイドレードなどの天然ガス資源にまでどんどんと展開して、まるで海原のような壮大な広がりとなる。「水と安全はタダ」という雰囲気に慣れきった日本人が今発想を変えないと、地域の再生はおろか、日本の再生も危ういと「ミズの視点」から警鐘を鳴らす。
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