世界農業遺産国際会議の2日目の5月30日午前、政府代表者らがGIAHSの活用法をテーマに「ハイレベルセッション」=写真・上=が開かれた。その中で、農林水産省の角田豊審議官が注目すべきことをいくつか述べた。一つは、「日本独自の認定基準づくりを検討する」と述べたことだ。
日本独自の「農業遺産」創設に期待、中国は先行
FAOのGIAHS認定の基準(食料と生計の保障、生物多様性と生態系機能、知識システムと適応技術など)があるが、それぞれの国で農林水産漁業の事情は異なる。日本の場合、稲作だけでなく、ため池や森林利用などもあり、さらに祭りなどの文化もあり農業の多様性は豊か。日本の村落の農業そのものが世界農業遺産と称してよいくらいだ。おそらく公募すれば、全国から手が上がるだろう。そこで、国内農業の特長や文化、生物多様性の取り組みなどを明確化するために基準が必要となる。もちろん、「世界農業遺産」の考えを広めることにもなる。つまり「日本農業遺産」創設という展開になるのかどうか、期待したいところだ。
実は、この取り組みでは中国は先行している。独自にNIAHS(National Important Agricultural Heritage Systems)を創設して、特徴ある農業をピックアップして、GIAHSに推薦している。これまでのハニ族の棚田、アオハンの乾燥地農業、トン族の稲作・養魚・養鴨、プーアルの伝統的茶農業、青田県の水田養魚、万年の伝統稲作、それに今回、会稽山の古代中国のトレヤ(カヤの木)、宣化のブドウ栽培の都市農業を新たに加え、8サイトにかさ上げした。中国農業省と中国科学院がタッグを組んで、システマチックにFAOに申請しているのだ。
もう一つ、角田審議官のコメントで、今年度からFAOに対し信託基金を拠出する方針を明らかにした。使途を「GIAHS推進」に限定し、その額を3000万円程度と述べた。日本政府として、GIAHSに関与していくことを国際会議の場で発表した、ともいえる。
日本がGIAHSの普及に関与するは実にタイムリーだ。とうのも、5サイトがある日本ですら「GIAHS」「世界農業遺産」といっても、ほとんど知られていないだろう。世界でも欧米での認定サイトはこれからだ。「日本農業遺産」の創設と併せて、個々のサイトのブランド(名品)ではなくトレンド(流れ)をつくる必要が、国内的にも国際的にもあるだろう。
日本のサイト(GIAHS登録地)、特に能登は中国など他国と比べて、高齢化や過疎化が進行している。それの伝統的な農業、GIAHSを未来に伝えていくためには地域の努力では限界がある。新しい参入者、顔ぶれが必要だ。そのためには、都市からの移住者、CSRに熱心な企業やNPO法人、サポーター(都市住民)など多様な支援を得なければ、GIAHSのベースとなる農林漁業は守れないだろう。
世界農業遺産(GIAHS)が歩んでいる道は一つだ。地域に根ざした高品質の農産物を多種にわたって育て、高い付加価値をつけて市場に出すことだ。徹底的に企業化して、低コストの農産品を市場に出して海外の産品とわたり合うことではない。そうなれば、地域性や伝統文化、生物多様性が失われることは自明の理だ。GIAHSの理念をアピールして、新しい参入者の心を引き、賛同を得ることだ。そのチャンスがようやくめぐってきた。今回の国際会議ではそれを国際公約とした確認したのだ(能登コミュニケ)。
同日午後の全体セッション。テーマは「GIAHSの未来に向けて」。GIAHS基金代表のパルヴィス・クーハフカン氏は、2013年にGIAHSの枠組みを伝える「大使」を養成する考えを打ち上げた。クーハフカン氏から「大使」の言葉を聞くのは2度目だった。ことし2月20日、能登半島・珠洲市で国際GIAHSセミナー(主催:能登キャンパス構想推進協議会)を開催し、クーハフカン氏を招いて能登の若手農業者と対話集会を開いた。その折、最後のコメントでこう述べた。「皆さん一人ひとりお願いがあります。どこへ行こうとも、里山やGIAHSの大使になっていただきたい。GIAHSの概念的な枠組みを自分の環境に持ち込み、ビジネスに適用してください。もちろん政治家、政策決定者の皆さんも、子供たちや若い世代が、このような持続可能な暮らしや持続可能な発展の枠組みについて実際に考えるよう促してください」と。このとき、私は「大使」より「伝道者」の方が意味的に近いと思ったが、宗教と間違えられて困るので、国際的には「GIAHS大使」、これでよいのかもしれない。
※写真(下)は、5月30日、世界農業遺産国際会議のレセプションで、能登の「里山マイスター」ら若手の農業者と、パルヴィス・クーハフカン氏が再会しての記念撮影。このなから「能登のGIAHS大使」が生まれるかもしれない。
⇒2日(日)朝・金沢の天気 はれ
日本独自の「農業遺産」創設に期待、中国は先行
FAOのGIAHS認定の基準(食料と生計の保障、生物多様性と生態系機能、知識システムと適応技術など)があるが、それぞれの国で農林水産漁業の事情は異なる。日本の場合、稲作だけでなく、ため池や森林利用などもあり、さらに祭りなどの文化もあり農業の多様性は豊か。日本の村落の農業そのものが世界農業遺産と称してよいくらいだ。おそらく公募すれば、全国から手が上がるだろう。そこで、国内農業の特長や文化、生物多様性の取り組みなどを明確化するために基準が必要となる。もちろん、「世界農業遺産」の考えを広めることにもなる。つまり「日本農業遺産」創設という展開になるのかどうか、期待したいところだ。
実は、この取り組みでは中国は先行している。独自にNIAHS(National Important Agricultural Heritage Systems)を創設して、特徴ある農業をピックアップして、GIAHSに推薦している。これまでのハニ族の棚田、アオハンの乾燥地農業、トン族の稲作・養魚・養鴨、プーアルの伝統的茶農業、青田県の水田養魚、万年の伝統稲作、それに今回、会稽山の古代中国のトレヤ(カヤの木)、宣化のブドウ栽培の都市農業を新たに加え、8サイトにかさ上げした。中国農業省と中国科学院がタッグを組んで、システマチックにFAOに申請しているのだ。
もう一つ、角田審議官のコメントで、今年度からFAOに対し信託基金を拠出する方針を明らかにした。使途を「GIAHS推進」に限定し、その額を3000万円程度と述べた。日本政府として、GIAHSに関与していくことを国際会議の場で発表した、ともいえる。
日本がGIAHSの普及に関与するは実にタイムリーだ。とうのも、5サイトがある日本ですら「GIAHS」「世界農業遺産」といっても、ほとんど知られていないだろう。世界でも欧米での認定サイトはこれからだ。「日本農業遺産」の創設と併せて、個々のサイトのブランド(名品)ではなくトレンド(流れ)をつくる必要が、国内的にも国際的にもあるだろう。
日本のサイト(GIAHS登録地)、特に能登は中国など他国と比べて、高齢化や過疎化が進行している。それの伝統的な農業、GIAHSを未来に伝えていくためには地域の努力では限界がある。新しい参入者、顔ぶれが必要だ。そのためには、都市からの移住者、CSRに熱心な企業やNPO法人、サポーター(都市住民)など多様な支援を得なければ、GIAHSのベースとなる農林漁業は守れないだろう。
世界農業遺産(GIAHS)が歩んでいる道は一つだ。地域に根ざした高品質の農産物を多種にわたって育て、高い付加価値をつけて市場に出すことだ。徹底的に企業化して、低コストの農産品を市場に出して海外の産品とわたり合うことではない。そうなれば、地域性や伝統文化、生物多様性が失われることは自明の理だ。GIAHSの理念をアピールして、新しい参入者の心を引き、賛同を得ることだ。そのチャンスがようやくめぐってきた。今回の国際会議ではそれを国際公約とした確認したのだ(能登コミュニケ)。
同日午後の全体セッション。テーマは「GIAHSの未来に向けて」。GIAHS基金代表のパルヴィス・クーハフカン氏は、2013年にGIAHSの枠組みを伝える「大使」を養成する考えを打ち上げた。クーハフカン氏から「大使」の言葉を聞くのは2度目だった。ことし2月20日、能登半島・珠洲市で国際GIAHSセミナー(主催:能登キャンパス構想推進協議会)を開催し、クーハフカン氏を招いて能登の若手農業者と対話集会を開いた。その折、最後のコメントでこう述べた。「皆さん一人ひとりお願いがあります。どこへ行こうとも、里山やGIAHSの大使になっていただきたい。GIAHSの概念的な枠組みを自分の環境に持ち込み、ビジネスに適用してください。もちろん政治家、政策決定者の皆さんも、子供たちや若い世代が、このような持続可能な暮らしや持続可能な発展の枠組みについて実際に考えるよう促してください」と。このとき、私は「大使」より「伝道者」の方が意味的に近いと思ったが、宗教と間違えられて困るので、国際的には「GIAHS大使」、これでよいのかもしれない。
※写真(下)は、5月30日、世界農業遺産国際会議のレセプションで、能登の「里山マイスター」ら若手の農業者と、パルヴィス・クーハフカン氏が再会しての記念撮影。このなから「能登のGIAHS大使」が生まれるかもしれない。
⇒2日(日)朝・金沢の天気 はれ