自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「あのとき」のケータイとネット

2017年01月17日 | ⇒トピック往来
   1995年1月17日5時46分、金沢も大きく揺れた。当時、テレビ局で報道デスクの仕事をしていた。確か、当時は成人式が1月15日だったので、翌16日は振り替え休日、その連休明けの朝だった。22年前の阪神淡路大震災のことである。

  さっそくテレビをつけた。「近畿地方で大きな地震がありました」とアナウンサーはコメントで繰り返し述べているが、映像が入ってこない。そこでキー局のテレビ朝日の報道デスクに電話をした。情報が錯綜していたのだろう、これもなかなかつながらない。地震で死者が出ていれば、取材の応援チームを現地のテレビ局(大阪ABC)に派遣する準備をしなければならないので、その情報が知りたかった。

   まもなくしてNHKで映し出された映像を見て仰天した。倒れたビル、横倒しになった高速道路などの空撮の映像が次々と。あの映像を見ただけでも、事態が容易に想像できた。すぐに若手の記者とカメラマンに現地に行くよう指示した。その時、記者に持たせたのが携帯電話だった。被災地では安否を親族に伝えるため、公衆電話に長い行列ができていたこともあり、当時会社に数台しかなかったケータイを連絡用に持たせた。

   このときは携帯電話は「売り切り制」(1994年)に移行した時期だった。つまり、それ以前はNTTとのレンタルで携帯電話を契約していた。デジタルホングループ(現在「ソフトバンク」)などが新規参入したころで、携帯電話が一般で普及する初期のころだった。その後、爆発的に普及したのは言うまでもない。

   このとき、聞き慣れない言葉が飛び交った。「インターネット」だ。神戸大学の研究者たちが、インターネットを通じて被災地の状況を世界に発信したことがニュースとなった。当時はインターネット、メールを知る人も少なく、通信環境も一般化していない時代だった。私が勤務していた職場(テレビ局)で初めて、メールを使い始めたのは大震災から1年たった1996年だった。このときはネット環境をいち早く手掛けていた朝日新聞東京本社から中古のパソコン(確か富士通製)を払い下げてもらい、社内の数人で試験的に使ったのだった。その後、会社全体で通信環境が整備され、社内で一気にネット環境が整った。

   1995年、ケータイとネットの幕開けは阪神淡路大震災だった。その後、2011年3月の東日本大震災では避難所でケータイを使う姿が普通になっていた。

⇒17日(火)朝・金沢の天気    くもり
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