「既視感(きしかん)」という言葉をよく使う業界はテレビ業界ではないだろうか。これは私の経験でもあるが、ディレクターが番組を制作する際、過去の映像がよく出てくると、「既視感があるよね。別の映像に差し替えができないか」などとプロデューサーが注文をつけることがある。この既視感という言葉はもととも心理学用語のようだが、テレビ業界では、同じシーンが出てきて新味がないので視聴者の心象に残らない、との意味で使わる。
最近のテレビ映像で自身が既視感を感じたのは、平昌冬季オリンピックでの、例の北朝鮮の美女軍団の応援風景だった。2005年9月に韓国・仁川で開かれた陸上アジア選手権での応援を初めてテレビで見た。体を左右にリズムよく動かす一糸乱れぬ動作、統制された笑顔、このシーンは当時世界中で話題になった。これが「北朝鮮らしい応援」との印象が残っていた。今回の平昌での応援もまったく同じ、既視感が漂った。ただ、美女軍団が一斉に着けた、謎の男子の面のシーンは新味があった。
平昌での応援シーンを見て、多くの視聴者は「北朝鮮は相変わっていない」と印象を持ったのではないだろうか。「相変わっていない」という意味は、美女軍団の応援ぶりだけでなく、支配体制そのものも変わっていないというマイナスイメージである。その既視感もさめやらぬうちに、今度は「4月の南北首脳会談」のニュース=写真=が6日、世界に流れた。すると、このトップニュースもどうしてもマイナスイメージで伝わる。「北朝鮮が一番脅威に感じているのはトランプ大統領に違いない。アメリカの軍事力行使をなんとか防ぐために文在寅大統領を巻き込んで、対話だ対話だと言っているのだろう」と。
思い付きだが、オリンピックでの美女軍団のイメージをがらりと変えていれば、上記の南北会談のニュースも読み方が変わったかもしれない。応援がたとえば、チアガール(リーダー)のスタイルだったらどうだろう。「へぇ、北朝鮮も変わったな」と好感を持って世界のトップニュースに伝えられたに違いない。そして、メディアは「これはアメリカに対する強い友好のメッセージに違いない」と米朝会談への期待が一気に膨らんだことだろう。
現実は、南北首脳会談への期待は薄い。そこで提案されるであろう米朝会談では、北朝鮮が直接アメリカと「核対話」の用意があると報じられている。北朝鮮は核保有を認めろとアメリカに主張して意見は平行線、それを既成事実化して核保有国への道を突き進む。そんなシナオリだろう、と。「ひょっとして、米朝首脳会談が北とアメリカの中間点の東京で開催されるかも。でも、それはいかがなものか」とまた考え込んでしまう。
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