自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆若冲「バイオアートの世界」

2018年07月19日 | ⇒トピック往来

    きのう(18日)大学でのメディア論の講義を終え、少し時間をつくることができたので、石川県立美術館(金沢市出羽町)で開催されている江戸時代の絵師、伊藤若冲の特別展に足を運んだ。到着はちょうど午後5時、受付係の人から「午後6時に閉館ですのでよろしくお願いします」と言われた。60分で若冲の真髄をどこまで堪能できるか、急ぎ足で「若冲の世界」に入った。

    ヘチマに群がる昆虫などを描いた「糸瓜群虫図」=写真・上・図録「若冲と光瑤」から=は圧巻だった。掛軸の上から下を見て順に、カタツムリ、モンシロチョウ、クツワムシ(あるいはキリギリス)、イモムシ、オオカマキリ、ギンヤンマ、クサキリ、アマガエル、ショウリョウバッタの9種が見て取れた。図録では11種とあり、まるで絵解きのパズルのようで面白い。

    この絵に目を凝らしていると、自身の思い違いも発見できた。絵の上部のヘチマの黄色い花の乗っている昆虫は最初バッタかと思った。ところが、触覚が長いのでキリギリスと自分なりに修正した。でも、さらに観察すると体の真横の図柄がわらじの底のように横幅に厚みがある。キリギリスはもう少し細長くスマートだ。とすると、触覚が長くて横幅の厚みがあるとなると、クツワムシではないのか、と。キリギリスなのかクツワムシなのか、両者は確かにとても似ているのだが、一体どちらなのか。ぜひ鳴き声を聞いてみたいものだ。キリギリスならば「スイー・チョン」と鳴き、クツワムシは「ゴチョゴチョゴチョ」と。描き方が細密であるがゆえに、想像を膨らませてくれる絵なのだ。

   この絵の最大の特徴は「虫食い」だと感じる。これだけの虫がヘチマに群がっていれば、葉は虫食い状態になり茶色に変色する。それが、写実的に描かれ、さらに昆虫たちの動きを鮮やかに引き立てている。植物と昆虫の相互関係が描かれるバイオロジー(生物学)が表現されている作品。まさに、バイオアートの世界だ。ここで足が止まってしまい、残り時間は25分となった。急ごう。

   次に足を止めたのは水墨画「象と鯨図屏風」だった。屏風の右に「ねまり」(座り)のゾウ=写真・下・図録「若冲と光瑤」から=、左に「潮吹き」のクジラ、陸海の巨大な動物を対比させるダイナミックな構図だ。図録には作品は寛政7年(1795)とあり、若冲が80歳ころのものだ。「人生50年」の当時とすれば、若冲は仙人のような存在ではなかっただろうか。にもかかわらず、ゾウの優しい眼の描きぶりからは童心のような動物愛を感じさせる。そんなことを思いながら、60分間の若冲の世界はあっという間に過ぎた。

   帰宅中の自家用車の中でふと思った。動物愛は実際に見たり触ったりして愛情が育まれるものだ。クジラは日本近海にいるので別として、若冲はゾウを実際に見たのだろうか。インターネットでゾウの日本上陸の歴史を検索してみる。長崎県庁文化振興課が運営するサイト「旅する長崎学」に以下の記述があった(要約)。8代将軍吉宗が注文したゾウは享保13年(1728) 6月、唐船に乗って長崎に到着。ベトナム生まれのオスとメスの2頭。メスはまもなく死んで、翌年3月オスは長崎街道を歩き江戸へと向かう。4月に京都に到着。「広南従四位白象」という位を授かったゾウは中御門(なかみかど)天皇と謁見した。

         このとき、京生まれの青物問屋のせがれだった若冲は13歳。京の街を行進して御所に向かうゾウの様子を実際に見物したに違いない。白いゾウのイメージはここで得た。「ねまり」はどうか。拝謁したゾウは前足を折って頭を下げる仕草をし、天皇を感動させた(「ウィキペディア」)とある。当時、ゾウが座して頭を下げる姿は京の街中にうわさが広がって、若冲はゾウの姿のイメージをさらに脳裏に焼きつけたのではないだろうか。このダイナミックな構図はそうした原体験から創作されたのではないのか、と想像した。

⇒19日(木)朝・金沢の天気    はれ

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