自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★『人間到る処青山あり 極鮨道』

2019年08月12日 | ⇒ドキュメント回廊

   昨夜(11日)は金沢のすし屋に入った。サザエのつぼ焼きから始まって、藻塩(もじお)を少しふってつまむバイ貝、アジの炙(あぶ)り、甘エビ、マグロ、アナゴと海の幸が彩りよく次々と出てくる。新鮮な素材と、店主のスピード感ある包丁さばきや握りの技術、そして6人掛けの小さなカウンターが絶妙な食の空間を醸し出す。

   カウンター向こうの壁に『粋』と墨書の大額が飾られている。その右下に『人間到る処青山あり 極鮨道』と。店主に、「じんかんいたることろせいざんあり すしどうをきわめる」と読み方を確かめると、「そうです。ほとんどのお客さんは『にんげん』と読まれますが、『じんかん』で正解です」と。世の中どこで死んでも青山(墳墓の地)はあるから、夢を達成するためにあえて郷里を出る。鮨道(すしどう)を極める。店主自らの書である。

   店主はもともと千葉の出身で、東京銀座の寿司店で修業を積んだ。金沢は縁もゆかりもなかったが、旅行で訪れた金沢の近江町市場に並ぶ魚介類の豊富さと鮮度の高さに惚(ほ)れ込んだ。すし屋として独立するなら金沢でと決めて単身で移住した。『人間到る処青山あり 極鮨道』は自らの決意の書でもある。北陸新幹線金沢開業の1年後の2016年3月開店にこぎつけた。しかし、金沢で「鮨道」を極めるには超えなければならない難関が待っていた。開店仕立てのころ、江戸前の銀シャリの味が金沢の食通の人に馴染まず、酢の配合が定まるまで試行錯誤の日々だったという。

   この話を聞いて、人間到る処青山ありの意味は単なる場所の移動ではなく、専門分野の技術革新(イノベーション)と解釈できないだろうかと直感した。専門分野に自らが閉じこもるのではなく、その専門性をベースにして広い視野に立ち、自らの可能性と生き様を追求する。江戸前の技術で北陸の食材を輝かせ、これまで金沢では味わえなかった「すし文化」を醸し出している。

   店主が秋田の日本酒を出してくれた。「美酒の設計」という銘柄で、酒米「山田錦」を55%まで精米した純米吟醸だ。透き通るような香味と洗練された酒質はまさに「上善(じょうぜん)水の如し」をイメージさせてくれる。そしてネーミングがいい

。試行錯誤を繰り返しながら美酒を醸すことに苦心しただろう。それをあえて気取らずに、醸造という科学の成果との意味を込めて「美酒の設計」とした心意気が、この店の雰囲気とも調和する。実に楽しい夜だった。

⇒12日(祝)朝・金沢の天気    はれ

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