自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ビートルズ大学 「ハッピ・コート」の衝撃

2019年08月07日 | ⇒トピック往来

    イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ 」が来日したのは1966年6月29日だった。当時小学6年生だった私自身も少なからず影響を受けた。音楽に興味がわいていたころで中学生になり、ブラスバンド部に入った。トロンボーンを始めた。そして、2年生でエレキギターとドラムによる独自のバンドを結成したのだ。バンド名を「Bombs」とした。激しい音を出すので、「爆弾のようなバンドだ」と周囲からなじられ、bomb(爆弾)をバンド名にした。だた、ビートルズのように歌えるボーカルがいなかったので、ザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル・サウンドにのめり込んでいった。そんなことを思い出しながら、今月3日に金沢市で開講した「ビートルズ大学」の講義を聴いてきた。

    「学長」は日本におけるビートルズ研究の第一人者で音楽評論家の宮永正隆氏=写真・上=。宮永氏は金沢市出身で、長らくオランダで家族と住んでいたが故郷に戻ることになり、金沢大学のオープンアカデミーの講座として「ビートルズ大学」を開講されることになった。場所はJR金沢駅西口から歩いて3分ほどにある金沢大学駅前サテライトの3階にある。土日祝に開講する。1講座50分で午前から夕方まで開講している。

    開講初日だった3日は午前10時20分から夕方午後5時15分まで、6講座をどっぷりと聴講させてもらった。語りで映像を交えた講義で、この日は40名余りが聴講した。居眠りしている人はいなかった。むしろ、体を揺らしながらビートズルの曲を楽しんでいる人もいた。冒頭のビートルズの来日に関する講座「ビ-トルズ来日学」ではビ-トルズが滞在した5日間のエピソードが語られた。講義の部屋にはビ-トルズが来日したときにJALフォーストクラスで配れらた記念品の扇子(俵屋宗達の画、本阿弥光悦の書)と同じ扇子=写真・下=や、武道館での公演の楽屋で使用されたコーヒーカップなどが展示された。これだけでも、どことなく当時の雰囲気が漂うから不思議だ。

     1966年6月29日午前3時39分に一行は羽田空港に到着した。実は台風の影響で11時間遅れだった。この時、タラップを降りた4人が羽織っていた法被にもエピソードがあった。宮永氏は当時法被を着せたスチュワーデスにインタビューしている。スチュワーデスには降りるときに法被を着せるという特命があった。何しろ「JAL」のネーム入りの法被だ。でも強制的に着せるわけにはいかない。そこで、臨機応変で対応してくれそうな人はジョン・レノンではないかと直感し、本人に「ハッピ・コートを着ていただけませんか」と頼んだところ率先して着てくれ、ほかの3人も追随したのだという。この「ハッピ・コートの演出」で来日のムードが国内でも一気に盛り上がった。

      講義では、こうしたビートルズにまつわる知られざるエピソードを宮永氏が取材し、その意義や音楽シーンに与えた影響について丁寧に語っている。

⇒7日(水)朝・金沢の天気      はれ
    

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