自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

2024年08月04日 | ⇒ドキュメント回廊

  パリオリンピックで柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇ならず号泣した阿部詩選手の姿が印象的だった。試合会場に響き渡るようなあの泣き声、テレビで視ていて、ふと自身の故郷の奥能登のことを思い出した。小学生のころだから今から50年以上も前のことだ。親戚の葬儀に参列すると、棺(ひつぎ)にしがみつくようにして、ワァッーと号泣する女性がいた。子どもながらにびっくりしたのを覚えている。あのときのイメージと阿部選手の号泣が重なる。

  能登では真言宗の葬儀などで「泣き女(め)」と呼ばれる女性の号泣で死者を弔う儀式がかつてあった。泣き女の泣く姿に周囲の人たちも泣いて弔う。そんな儀式だったと記憶している。それぞれの地域には泣き女役の女性がいた。ただ、いまは見たことも聞いたこともない。すっかり昔の話になった。(※写真・上は、東京五輪女子52㌔級で阿部詩選手が金メダル。史上初の兄妹同日優勝を飾った=JOC公式サイト動画より)

  話は変わる。能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ人々が祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが笛を吹き、太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄り、女性も神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。(※写真・下は、燃え盛る松明をキリコが威勢よくめぐる能登町宇出津の「あばれ祭」=7月5日撮影)

  きのう夜(3日)能登で最大級のキリコが巡行する七尾市の「石崎奉燈祭」が行われた。キリコは高いもので15㍍になり、五階建てのビルの高さに匹敵する。重さ2㌧ほどのキリコを男衆100人が担ぎ上げ、「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と威勢のよい掛け声で町内を練り歩いた。元日の地震で倒壊した家屋があり、道路も一部で歪んだりしているため、祭りの開催には町内で賛否両論があったようだ(8月4日付・地元メディア各社)。そこで、前夜祭は中止とし、キリコの巡行も道路に傷みが少なかった300㍍に限定して行われた。

  もう一つ、能登でよく聞く言葉。「1年365日は祭りの日のためにある」。震災があっても祭りの伝統は絶やさない。能登の人たちの意地でもある。

⇒4日(日)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

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