自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★旧盆墓参り 奥能登で目立つ「ブルーシート墓」

2024年08月13日 | ⇒ドキュメント回廊

  パリオリンピックが終わり、少々気が抜けたような気分になっている。これまで、目覚めるとスマホで日本の金メダルの数をチェックすると心が沸いた。そして、派手な見出しと写真で彩られた新聞紙面を眺め、競技実況で点が入るごとにアナウンサーが絶叫を連発するテレビ画面を視る日々だった。それが日常に戻った。心に残るシーンを一つだけ挙げるとすれば、柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇を逃した阿部詩選手のあの号泣する姿だ。試合会場に響き渡るようなあの泣き声は耳に残る。 

  話は変わる。能登には「一村一墓」という言葉が残っている。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。

  きのう旧盆の墓参りで奥能登の墓地を訪れた。多くの墓石にはブルーシートが被せてあった。元日の能登半島地震の影響で墓が損壊し、骨壺を納める場所(納骨室)がむき出しになったのだろう。この墓地は山の斜面地に造られている。墓石の修繕は進むのだろうかと気がかりになった。道が細くて機械が入れないところもある。道路に面したフラットな地形の墓地の場合は、小型クレーン車などを使って墓石を吊り上げて元の位置に戻すことで作業が進むだろう。が、細道や斜面地の場合は小型クレーン車などが入れないので、現場で柱を三又に組んでチェーンブロックを取り付け、墓石を一つ一つ上げ下げして修復することになる。とても手間暇がかかる。

  「令和の一村一墓」という言葉を頭の中で描いた。この際、共同墓と共同納骨堂の構想を描いてはどうか、と。余計なことを勝手に言っては、地元の人に失礼にあたるので言葉を慎む。

(※写真・上は、ブルーシートが被せられた墓石=輪島市の墓地で。写真・下は、墓の塔の部分に当たる竿石が石段を転げ落ちた墓石=能登町の墓地で)

⇒13日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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