自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その4~

2024年12月29日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の能登半島地震のある意味でシンボル的な光景とされてきたのが、輪島市で240棟余りの商店や民家が全焼し焦土と化した朝市通り、そして、倒壊した輪島塗製造販売会社「五島屋」の7階建てビルだった。その後、朝市通りやビルはどうなっているのか、今月26日に現地を見に行った。

         徐々に進む復旧・復興への足音 震災と洪水の二重災難を超えて 

  倒壊ビルの現場では、パワーショベルなど重機2台が動いていた。行政による公費解体は11月初旬に作業が始まった。2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出して倒壊した7階建てビルは3階から7階部分の解体撤去が終わっていた=写真・上=。工事看板によると、解体作業は来年1月いっぱいまで続くようだ。

  現場では倒壊によってビルに隣接していた、3階建ての住居兼居酒屋が下敷きとなり、母子2人が犠牲となっている。問題視されているのはビル倒壊の原因が何なのかという点に絞られている。一部報道によると、2007年3月25日の能登半島地震でビルが大きく揺れたことから、五島屋の社長はビルの耐震性を懸念して、地下を埋めて基礎を強化する工事を行っていた。それが倒壊したとなると、社長自身もビル倒壊に納得していないようだ。ビルの築年数は50年ほど。基礎部の一部が地面にめり込んでおり、くいの破損や地盤が原因ではないかとも指摘されている。国土交通省が基礎部を中心に倒壊の原因を調べている。なぜ、震度6強の揺れに耐えきれずに根元から倒れたのか。ビル倒壊の原因が分かってくれば、責任の所在もおのずと明らかになるだろう。

  次に朝市通りに行く。軒を連ねていた通りの240棟が全半焼し、4万9000平方㍍が焼け野原となった。現地を眺めると一面に更地が広がっていた=写真・中=。焼け焦げたビルなどの解体撤去もほぼ終えていた。行政としても、朝市通りは震災復旧のシンボルでもあり、力を注いできたのだろう。素人目線ながら、復興に向けて大変なのはむしろこれからだろうと憶測する。被災地でよく問題になるとされるのが、土地の区画整理だ。誰の家がどこにあったかなどを測量して、近隣と合意を得て区画整理していく。これが4万9000平方㍍となると膨大な作業となり、かなりの年数がかかるのではないだろうか。

  地元メディアの報道によると、震災からの復興計画を進めている輪島市の復興まちづくり計画検討委員会は今月20日、計画案をとりまとめ、輪島市長に提出した。目玉となるプロジェクトに「輪島朝市周辺再生」を掲げ、商店街や住まいの共生を目指して市街地整備を行う。これを受けて行政は市民からも意見を求め、来年2月中に正式決定する。復興計画の期間は10年で、2026年度までを上下水道などのインフラ整備などを進める「復旧期」、2030年度までを朝市周辺の新たな街づくりを進める「再生期」、2034年度までを地域資源を活用した新たな観光や産業を創出する「創造期」と定め、復興プロジェクトに着手していく。

  朝市通りから金沢に帰る途中に、48時間で498㍉という9月の記録的な大雨に見舞われ、床上浸水した仮設住宅の宅田町第2団地に立ち寄った。市内中心部を流れる河原田川の氾濫で、団地の一帯が冠水した。住人にとってはまさに震災と豪雨による二重災害となった。豪雨から3ヵ月を経て、仮設住宅の修繕が終わり、住人が避難所から徐々に戻っていた。車に積んだ布団や毛布を住宅に運び込む姿をよく見かけた=写真・下=。本格的な冬に入る。これからは寒波や雪との戦いになるのだろう。

⇒29日(日)夜・金沢の天気    あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする