自在コラム

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★演出なきリアリティ番組はあるのか  

2020年07月13日 | ⇒メディア時評

   フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが5月23日に自死した事件がいまだにくすぶっている。視聴者から批判が殺到したビンタのシーンは番組スタッフの指示と母親が証言した(「週刊文春」7月2日発売号)。フジテレビ側は社長が今月3日の記者会見で「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない」「感情表現をねじ曲げるような指示は出していないということだ」と述べている(フジテレビ公式ホームページ「6月度社長会見要旨」)。真向から対立している。

   番組のシナリオ台本はなかったとは言え、番組には必ずディレクターが立ち会い、視聴者の反応を意識した構成が練られていただろう。「台本なき演出」があったと考えるのが普通だ。

   かつて、テレビマンとして番組制作にかかわっていた。ドキュメンタリ-番組を制作するに当たって気をつけていたことは、「演出」の気持ちにかられないようにすることだった。なぜならば、ドキュメンタリーは事実を構成する番組なので、「演出」あるいは「やらせ」はタブーである。ところが、ディレクターとしては番組のストーリー性を常に考えるので、つい「こんなシーンがあると映像の流れ的にはリアリティがあっていいんだけれどな・・・」などと思ってしまう。番組の完成度を高めたいのだ。

   そのような思いを戒める「事件」が起きた。1992年に放送されたNHKスペシャル『禁断の王国・ムスタン』(9月30日・10月1日放送)。ムスタンはネパール領の自治王国で、「テレビ未踏の番組」が触れ込みだった。視聴率は14%をさらい、さすがNHKと好評を博した。それが一転、「やらせ番組」の代名詞の烙印を押されることになる。

   翌年1993年2月3日付の朝日新聞でスクープ記事が出た。疑惑はいくつもあった。登場した「国境警備兵」は実際は警察官だった。映像中の「少年僧の馬が死んだ」は実際は別の馬だった。「高山病に苦しむスタッフ」の映像は実際は演技だった。「岩石の崩落、流砂現象」のシ-ンは取材スタッフが故意に引き起こした、などの「やらせ」疑惑だ。NHKも内部調査を行い、「過剰な演出」「事実確認を怠り誇張した表現」と認めた。同年3月、電波行政を所管する郵政省(現・総務省)はNHKに対し虚偽報道であるとして大臣名で厳重注意の行政指導を行った。

   その後も、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』では捏造が発覚した。2007年1月7日放送「納豆でヤセる黄金法則」はアメリカの大学教授の研究をもとに「DHEA」と呼ばれるホルモンにダイエット効果があるとの説を紹介し、納豆に含まれるイソフラボンがその原料になるとし、被験者8人全員の体重が減ったとの内容だった。週刊朝日が関テレに質問状を送ったことがきっかけに、番組を制作会社に任せていた関テレが独自調査。コレステロール値や中性脂肪値や血糖値の測定せず、血液は採集をするも実際は検査せずに数字は架空といった捏造が明るみに出た。さらに、大学教授の日本語訳コメント(ボイス・オーバー)はまったく違った内容だったことが発覚した。

   結局、番組は打ち切りに。関テレも一時、民放連の除名処分を受ける事態になった。ある意味でこれは民放の構造的な問題ではなかったかと察している。当時、制作会社は制作9チーム(150人)で1チームが2ヵ月に1本の制作を担当していた。科学データが実証されるのを待っていると時間が必要で、放送に穴を空けることにもなりかねない。時間に追われたディレクターは「とりあえず、絵だけ撮れ」とカメラマンに指示したのだろう。「体にいいですよ」という番組の結論を導くために捏造したデータやコメントを構築していくことになった。

   話は冒頭に戻る。「リアリティ番組」と銘を打つから、演出だ、やらせだ、捏造だと批判を浴びる。最初から「娯楽バラエティー番組」にしておけば、演出は許される。そして、出演者も視聴者もそれほど抵抗感はなかったのではないか。番組づくりと演出はテレビ制作者の永遠の課題ではある。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    あめ


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