自在コラム

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☆佐渡金山を深堀りすれば

2022年01月31日 | ⇒ニュース走査

   去年秋に佐渡の金山を見学した。佐渡市で開催された「GIAHS(世界農業遺産)認定10周年記念フォーラム」(10月29-31日)のエクスカーションだった。中学生の歴史教科書にも出て来るように、佐渡金山は徳川幕府の直轄の天領として奉行所も置かれ、金銀の採掘のほか小判の製造も行われていて幕府の財政を支えた。

   ガイドの女性の案内で坑道に入って行き、最前線で鉱石を掘る「金穿大工(かなほりだいく)」と呼ばれた採掘のプロたちの説明があった。坑道で使われた器具の中で、「水上輪(すいしょうりん)」も興味深かった。長さが「9尺」(2.7㍍)ある円錐の木筒で、内部にらせん堅軸が装置されている。上端についたハンドルを回転させると、水が順々に汲み上げられて、上部の口から排出される仕組みになっている。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したアルキメデス・ポンプを応用したものだという。

   水上輪は坑道の安全を守るために必要だった。地下に向かって鉱石を掘れば掘るほど水が湧き出るため、放っておけば坑道が水没する恐れがあった。そこで、手動のポンプである水上輪を導入し、水を汲み上げて排水溝に注いだ。ただ、ハンドルを回すのは相当な力仕事だった。水上輪だけでなく、桶でくみ上げる作業と合わせて坑道の排水作業は「水替人足(みずかえにんそく)」の仕事だった。

   そこで、ガイドの女性に質問した。「水替人足はどんな人たちだったのですか。島流しの人たちですか」と。すると、ガイドは「そうおっしゃる方もいますけど、佐渡金山は流刑の地ではありません。水替人足は無宿人(むしゅくにん)と呼ばれた人たちが行いました。無宿人は凶作や親から勘当を受けるなどさまざまな理由で故郷を離れ江戸や大阪にやってきた人たちで、江戸後期(安政7年=1778)から幕末までの記録で1874人が送られてきたそうです」と。重い罪で島流しになった「流人」とは異なる人たちだった。「そうなんですね。認識不足で申し訳ありません」と詫びた。

   幕府の鉱山開発の拠点となった佐渡へは日本各地から山師、測量技術者、商人などが集まり人口も急増した。食糧需要が増えて島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で潤った。豊かになった島の人々は武士のたしなみだった能を習った。いまでも島内の能舞台は33ヵ所あり、国内の能舞台の3分の1は佐渡にある。

   そうした佐渡金山について、岸田総理は28日、ユネスコ世界文化遺産の候補として推薦する方針を表明した。推薦期限となるあす2月1日に閣議了解を得て、2023年の登録を目指す。今回の推薦について、韓国は佐渡金山で「強制労働」があったと反発している。佐渡金山の申請対象は、韓国側の主張と直接関係ない「江戸時代まで」に限定している。登録までには紆余曲折も予想されるが、歴史遺産が対立の火種にならないよう願いたい。

⇒31日(月)午後・金沢の天気      はれ


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