自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ブログの技術-21-

2006年04月08日 | ⇒ノウハウ検証

 この「ブログの技術」シリーズはどれだけアクセス数を稼ぐかではなく、長くブログを続けるコツのようなものをさまざまな観点から追求している。私自身のブロはその意味で逆説的かもしれないがコラムという形式をとっている。基本的に日記風ではない。これはなぜだろう。コラムって難しく、長続きしないのでは…と誰しも思うだろう。

      テーマ「コラムの視界」

  コラムというのは面白い表現方法で、実は日記と評論を足して2で割ったような表現になる。三省堂の「大辞林」で、コラムをくると、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。罫で囲まれることが多い」と。もともと活字メディアの大所がその豊富な体験や知識を生かして示唆に富んだ文章を展開するといったたぐい文章である。手法は、新聞記事のように客観性を重んじながら、経験や知識といった主観も入れていく。あるいは、少々「ずるい」のだが、先人の名言を引き合いに出して文章を膨らませたり、結論めいた締めくくり方をする。

  目線の高さということで表現すれば、日記風が地に足をつけて見渡す風景に対し、コラムはビルの3階か4階から街を眺めているような景色である。視野が広がって多様な文章が書けるというメリットの反面、日常の細かな動きとなると主観的すぎて表現しづらという点もある。もちろん、文章に手馴れたコラムニストは路傍の石にズームインしたかと思うと、今度は思いっきりズームアウトして話を宇宙にまで持ってゆく。こんな文章を読むと、ジェットコースターに乗ったようなスリス感を味わうことができる。

  コラムの表現はもちろん口語体である。私の場合は常体(だ・である体)を使い、敬体(です・ます体)は使わない。自在コラムでは、当初、敬体を使っていた。ところが、敬体だと表現範囲が随分と限られてくるのに気がついて、常体に戻した。他のブログを読むと、日記風は「しゃべり言葉」になっているものが多い。これだと敬体よりさらに表現する内容が限られてくるのではないかと思う。それこそ「ボキャ貧」(ボキャブラリーの貧困)に陥る。

  友人が「ブログは金がかかる」と嘆いたことがある。日記風で綴っていて、その日の出来事を内容とし、毎日書いている。だから、疲れて家で居眠りをしていてはブログは書けない。おいしいものを食べに行ったり、映画を観たり、美術展に出掛けたりと「ブログのネタ探し」に忙しい。で、「金もかかる」というわけだ。それはそれで本人は充実感を得ているのでいいとしても、私にはそのまねができない。春の休日は縁側で居眠りをしていたい。

 ⇒8日(土)午後・金沢の天気  はれ


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