自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★田の神を「お・も・て・な・し」

2019年12月06日 | ⇒キャンパス見聞

   能登半島で奥能登と呼ばれている輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の地域に伝承されている農耕儀礼「あえのこと」は毎年12月5日、田の神をご馳走でもてなす家々での祭りを意味する。2009年9月、ユネスコ無形文化遺産に単独で登録された。ことしで4回目となる「あえのこと」スタディ・ツアーを4日と5日で実施した。参加したのは金沢大学の留学生3人(フィンランド、ブラジル、中国)と日本人学生3人の6人。もてなしのご馳走である「あえのこと料理」を考えるワークショップにはALT(外国語指導助手)として能登に来ているアメリカ人2人も参加した。

   初日にまず訪れたのは延喜式内社でもある天日陰比咩神社(中能登町)。同神社では、「あえのこと」と同じ日に稲作の収穫を神に感謝する新嘗祭(にいなめさい)が執り行われ、参列者には米を発酵させた濁り酒「どぶろく」の振る舞いがある。神社の説明によると、どぶろくを造る神社は全国で30社あり、そのうちの3社が同町にある。米造りと酒造りが連綿と続く地域である。ここでどぶろくを田の神へのお供え用にいただいた。

   現在の風習では、田の神の好物とされる「甘酒」を供えているが、明治ごろまでは各家で造っていたどぶろくを供していたとの説がある。明治政府は国家財源の一つとして酒造税を定め、日清や日露といった戦争のたびに増税を繰り返し、並行してどぶろくの自家醸造を禁止した。これがきっかけで家庭におけるどぶろく文化は廃れていった。もちろん現在でも酒税法により家庭での醸造・酒造りは禁止である。どぶろくの代替えが甘酒になった、のではないかと推測している。「それなら、田の神に本来の好物、どぶろくを捧げよう」と神社に自説を説明し、現物を提供いただいた。

   2日目のいよいよ「あえのこと」の本番。輪島市にある千枚田の近くの農家を訪れた。留学生を代表し、フィンランドからの男子留学生が、「天日陰比咩神社からの預かりものです。田の神さまにお供えください」と家の主(あるじ)にどぶろくの瓶を手渡した。主人は甘酒も用意していたが、別御膳で神酒用の銚子と徳利で供えてくれた。「大役」を果たした留学生はあえのことを見終えて、「フィンランドにこういう行事はない。家々が土地の神様に祈ることが興味深い」「出された料理にも一つひとつ意味があると聞いて驚いた。田の神さまがどぶろくを楽しんでくれた想像するとうれしい」とメディアのインタビュー取材に答えていた。

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神に満足していただけるのかと心得ている。あえのことで演じられる所作を見ていると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。

   ブラジルからの女子留学生は「とても美しいと感じる光景の儀式でした。ホスピタリテー(もてなし)の日本文化を知る機会を与えていただき感謝しています」、そして「ブラジルの先住民族にもこうした儀式や伝統文化があったが、今では少なくなったのではないでしょうか」と現状にも触れた。中国からの女子留学生は「中国にもどぶろくと同じような製法のお酒がある。母親の好物で、母親の笑顔を思い出しました」と感想を語った。留学生たちは日本の「お・も・て・な・し」を体感したようだ。(※写真は、輪島市千枚田の川口家の「あえのこと」。留学生たちが後方でかたずをのんで見守っている)

⇒6日(金)夜・金沢の天気     あめ


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