タマムシという昆虫をご存知だろうか。政治の世界に足を踏み入れたことがある人ならば、「玉虫色の決着」などという言葉を思い浮かべるだろう。タマムシの羽は光線の具合でいろいろな色に変わって見える。そこから、解釈のしようによってはどちらとも取れるあいまいな表現という意味に使われ、「玉虫色の改革案」などと新聞の政治面で見出しになったりする。でも、多くの人がタマムシと聞いて連想するのが法隆寺(奈良県斑鳩町)の国宝「玉虫厨子」だろう。その玉虫厨子を現代に蘇らせるプロジェクトが完成し、その制作過程を追ったドキュメンタリー映画が輪島市と金沢市で上映されることになった(3月16日付・北陸中日新聞)。
玉虫厨子の復元プロジェクトを発案したのは岐阜県高山市にある造園会社「飛騨庭石」社長、中田金太さん(故人)だ。実は、私がテレビ局に在籍していた9年前、中田氏に依頼され、輪島塗にタマムシの羽を使った作品の数々を紹介するテレビ番組「蘇る玉虫の輝き」(60分)をプロデュースした。そのときの記憶はいまも鮮明だ。いくつかエピソードがある。
タマムシの羽は硬い。鳥に食べられたタマムシは羽だけが残り、地上に落ちる。輪島塗の作品をつくるとなると絶対量が日本では到底確保できない。そこで中田氏は、昆虫学者を雇って東南アジアのジャングルで現地の人に拾い集めさせる。それを輪島に持ち込んで、レーザー光線のカッターで2㍉四方に切る。それを黄系、緑系、茶系などに分けて、一枚一枚漆器に貼っていく。江戸期の巨匠、尾形光琳がカキツバタを描いた「八橋の図」をモチーフにした六双屏風の大作もつくられた。大小30点余りの作品を仕上げるのに延べ2万人にも上る職人たちの手が入った。
これらの作品は中田氏がオーナーの美術館「茶の湯の森」(高山市)で展示されている。東南アジアでタマムシの羽を拾い集め、輪島塗の工芸職人に制作させるという着想は中田氏のオリジナルだった。すべての工程をお金で換算すれば数億にも上る、まさに「玉虫工芸復活プロジェクト」だった。その着想の成功を得て、今回、中田氏の夢は玉虫厨子に帰結したのだった。
新聞によると、2004年から玉虫厨子のレプリカと平成版玉虫厨子の2つが同時進行で制作された。制作は前回同様に輪島塗産地の蒔(まきえ)絵や宮大工、彫刻師らが携わった。しかし、当の中田氏は07年6月、完成を待たずして76歳で他界する。妻の秀子さんが故人の意志を継ぎ、ことし3月1日にレプリカを法隆寺に奉納した。映画を手がけたのは乾弘明監督。国宝の復刻に情熱を傾ける職人たちの苦悩や葛藤を描いた作品になったという。映画のタイトルは「蘇る玉虫厨子~時空を超えた『技』の継承~」(64分・平成プロジェクト製作)。俳優の三國連太郎らが出演と語りで登場する。小学校の時から奉公に出され、一代で何百億の財を成し、国宝を蘇らせることに情熱を傾けた男の夢とロマンだった。人は死すとも、名品は残る。
上映会は4月26日(土)午後7時から輪島市文化会館、翌27日(日)午後2時から金沢市本多町のMROホールで。
⇒16日(日)夜・金沢の天気 はれ
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