作品を鑑賞に行くと作者が現場にいて、作品について直接、話を聴くチャンスに恵まれた。作品『ボトルシップ』の小山真徳氏。作品は市街地からかなり離れた北山集落という里山にある。いわゆる「限界集落」なのだろう、休耕田や耕作放棄地が目立つ。作品は休耕田に創られていた。ボトルのようなカタチした鉄骨の中には、丸木舟に観音像など3体の木彫が設置されていて、3体はそれぞれ向いている方向が異なる=写真・上=。丸木舟の中にはメダカも泳いでいる。
作品を眺めていると、「わざわざ山里まで来ていただきありがとうございます」と声を掛けられた。制作に携わった者だと言うので、名刺をいただいた。すると、小山真徳氏本人だった。作品制作の話になった。丸木舟も観音像などの木彫も珠洲に滞在しながら製材所で制作したのだという。
作品鑑賞の仲間たちから質問が出た。「ボトルシップの作品はどのようなきっかけで創られたのですか」と。すると小山氏は、「珠洲の海岸を歩いていて、動物の骨などが漂着しているをよく見つける。酒瓶に入ったマムシも見たことがある。それがきっかけで、ボトルシップで作品表現ができなかと考えていたんです」と。小山氏は能登の海辺をテーマに2017年の第1回芸術祭で作品『最涯の漂着神』を制作していて、能登の海に詳しい。
すると、次の質問が飛んだ。「それでしたら、海岸ベリでの展示ではないかと思うのですが、なぜ、山の中での作品展示なのですか」と。答えは意外だった。「能登半島の自然豊かな山里も、太古の昔は海の底だったのではないでしょうか。それが徐々に隆起して半島になった。そう考えると、この山中はかつて生き物の遺骸がたどり着いた海や海岸だったのではないか。そう思ってこの場を選んだのです」。太古の海、海岸こそ展示場所にふさわしい。この言葉に作者の作品制作のスケール感の大きさを読むことができた。
小山氏が作成した小冊子「ボトルシップ」を読むと、海岸に流れ着く生き物たちの遺骸を「砂浜の葬列」と表現している。太古の昔からこの能登半島に数知れない生き物たちの遺骸が漂着した。小山氏の言葉のニュアンスから、そうした生き物たちを歴史を超えて弔いたいのではないかと感じた。そう考えると、ボトルシップに観音像があることが理解できる。ただ、その確認の質問をするのを失した。
展示場へは農道から小道を下って行く。道には「わらむしろ」が敷いてあり、青竹で囲ってある=写真・下=。展示場のスタッフに尋ねると、この「わらむしろロード」も小山氏本人が造ったものだという。おそらく、斜面地なので鑑賞者が雨の日に滑らないように配慮して造ったのだろう。作品だけでなく、アクセスの安全性も一体として自ら手掛けた作者の心遣いに感動した。
⇒19日(木)夜・金沢の天気 はれ
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