このところ問われている「メディアの政治的な公平性」で思い出すのが、あの「椿発言」だ。1993年9月21日、テレビ朝日の取締報道局長だった椿貞良氏が日本民間放送連盟の勉強会「番組調査会」で、「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかと報道内部で話した」などと発言した。当時、7月の総選挙を経て非自民連立政権が樹立され、8月に細川内閣が発足していた。この内輪の会合の椿氏の発言が産経新聞=記事、1993年10月13日付=で報じられ、テレビ報道の政治的な公平性が問われた。
その後、メディア関係者として初めて国会に証人喚問(同年10月25日)という前代未聞の展開となった。このとき、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討されたが、視聴者へのインパクトも大きいとして、行政処分にとどまった。当時自身もテレビ朝日系列局の報道担当だったので、椿発言の一連の流れが脳裏に刻まれている。
椿発言が問われた背景に、テレビ報道の政治的な公平性と同時に、「テレポリティクス」というテレビ報道の台頭があった。テレビが政権交代へ世論をリードするとう現象だ。テレビ朝日の「ニュースステーション」は、久米宏氏と小宮悦子氏がキャスターとなり、いわゆる都市型選挙の世論をリードした時代だった。93年の総選挙では候補者を改革派と守旧派に分け、改革派に多くのスポットライトを当てていた。さらに、田原総一朗氏がキャスターとなった「サンデープロジェクト」は当時の宮沢総理の政治責任を追及するという先兵役を担った。
番組調査会での椿発言では、「55年体制を突き崩して細川政権を生み出した原動力、主体となった力はテレビだ」「テレビのワンシーンは新聞の一万語に匹敵する」とテレポリティクスを自賛したのだ。このことで、自民党は「偏向報道」と激しく反発し、また、新聞メディアからの批判も招いた。
産経新聞の報道を受けて、当時の郵政省放送行政局長は緊急記者会見で、放送法に違反する事実があれば電波法に基づく停波もありうると初めて示唆。直後に椿氏は取締役と報道局長を解任された。衆院の証人喚問で、椿氏は民放連番組調査会での軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については否定し、偏向報道は行なっていないと一貫して主張した。椿発言は、テレビメディアが政治を主導することへの危機感だった。
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