2016年4月14日と16日に震度7の揺れに2度見舞われた熊本地震。災害関連死を含む270人余りが死亡し、19万棟以上の建物が全半壊するなどの被害が出た。震災から半年後の10月8日に熊本市など被災地を訪ねた。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた熊本城の「飯田丸五階櫓(やぐら)」を見に行った。ところが、石垣が崩れるなどの恐れから城の大部分は立ち入り禁止区域になっていて、見学することはできなかった。櫓の重さは35㌧で、震災後しばらくはその半分の重量を一本足の石垣が支えていた=写真・上、熊本市役所公式サイトより=。飯田丸五階櫓は石垣部分の積み直しが終わったものの、熊本城の復旧工事は2037年度まで続く。
この熊本地震に当時から対応した熊本市の大西一史市長がその教訓を伝えようときのう(14日)珠洲市の泉谷満寿裕市長を表敬訪問した(14日付・NHKニュース)。大西市長は「熊本地震から8年となり復興は進んでいる。状況は全く同じではないが、必ず復興はできる」と激励した。また、「子どもたちの生活が戻ると、大人の生活も戻りやすくなり復興が進んでいく。断水が夏場まで続くと衛生環境も悪化すると思うので、それまでに子どもたちの生活を取り戻すことが重要だ」などとアドバイスした。訪問のあと、大西市長は「珠洲市は相当苦しい状況だと感じる。今後も中長期的な支援が必要になってくるので、全国市長会に協力を呼びかけながら支援を続けたい」と述べた(同)。
大西市長が「必ず復興はできる」と励ましたように、熊本は復興に向けて突進した。被災地ではいち早く復興計画案を打ち出し、例えば益城町では市街地の北側に新たに「住宅エリア」を、熊本空港南側には新たな「産業集積拠点」などを設けるとビジョンを提示した。そして、同じ被災地の菊陽町は、世界の最先端半導体生産の圧倒的シェアを占める台湾積体電路製造(TSMC)の熊本工場を誘致に成功し、先月24日に稼働が始まった。(※写真・下は、左から泉谷珠洲市長を激励に訪れた大西熊本市長=14日付・NHKニュース)
言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進め、復興ビジョンを着実に実現化していく。「一本足の石垣」のギリギリから生き残りをかけ、TSMC工場の誘致へと展開する被災地・熊本は「震災復興のモデル」ではないだろうか。
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