自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登半島地震 地震と津波をセットで考える心構え

2024年03月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震は地震、火災、そして津波の複合災害の現場でもある。珠洲市の海岸沿いには津波が押し寄せた。メディア各社の報道は、マグニチュード7.6の地震発生後まもなくして3㍍ほどの高さの波が来たと住民の話を伝えている。きのう(16日)津波に見舞われた被災地をめぐった。

  海岸沿いにある珠洲市飯田町のショッピングセンター「シーサイド」=写真・上=。店舗は閉じられたままだった。食品スーパーや書店など10店舗が入る2階建てのショッピングセンターで、元旦は福袋を買い求める客などが訪れていた。強烈な揺れがあり、従業員たちが「津波が来ます」と叫び、客を誘導して高台にある小学校に避難した。揺れから10分ほどして、70㌢ほどの津波が1階の店舗に流れ込んできた。従業員がいち早く自発的に動いたことから人的被害は出なかった。シーサイドでは年2回、避難訓練を実施していた。

  観光名所である見附島を一望する同市宝立町も津波の被害が大きかった。ホテル「珠洲温泉のとじ荘」は建物の被害のほか、水道などのライフラインが復旧しておらず休業が続いている。ホテル近くの海岸には津波で漁船が陸に打ち上げられていた。そして、見附島も変わり果てた。その勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2023年5月5日の震度6強、そして今回と度重なる揺れで「難破船」のような朽ちた姿になった。

  ホテル近くの住宅地では波をかぶり倒壊した2階建ての家屋があった。そして、道路では突き上げているマンホールがいくつもあり、中には1㍍余りの高さのものもあった=写真・中=。アスファルトの道路だが、砂が覆っていた。おそらく津波で運ばれてきた砂、そして液状化現象で地下から噴き出した砂が混在しているようにも思えた。マンホールは道路下の下水管とつながっている。液状化で水分を多く含んだ地盤が激しい揺れで流動化したことでマンホールが突き上がったのかもしれない。下水管の損傷も相当なものだろうと憶測した。

  珠洲市の海岸沿いの道路を車で走ると、「想定津波高」という電柱看板が目に付く。中には「想定津波高 20.0m以上」もある=写真・下=。同市では2018年1月に「津波ハザードマップ」を改訂した際にリスクがある地域への周知の意味を込めて電柱看板で表記した。石川県庁がまとめた『石川県災異誌』(1993年版)によると、1833年12月7日に新潟沖を震源とする大きな津波があり、珠洲などで流出家屋が345戸あり、死者は約100人に上ったとされる。1964年の新潟地震や1983年の日本海中部地震、1993年の北海道南西沖地震などでも珠洲などに津波が押し寄せている。

  半島の尖端という立地では地震と津波をセットで考える日ごろの心構えが必要なのだろう。シーサイド従業員の率先した避難誘導や「想定津波高」の電柱看板からそんなことを学んだ。

⇒17日(日)夜・金沢の天気     くもり


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